「隠す文化」について 覚え書き

 日本には「隠す文化」というのがあるかもしれない。特定の技術の秘匿、風紀を取締るための隠匿、私的理由の隠蔽は日常茶飯である。政治の舞台裏は秘中に置かれ、本音や閨房の秘事、屍体は建前上忌避され包み隠される。


 過去を振り返っても、古今和歌集の秘伝の注釈を伝授する古今伝授や法隆寺夢殿の救世観音像、ハンセン病患者の隔離や姥捨山の物語の例がある。前者は技術の秘匿と秘仏であり、後者は社会の異分子や余計者を排除するシステムである。


 懲罰の意味で行使されるものもある。中世の「島流し」、江戸時代の「蟄居」、現代の「謹慎」がそれに当たるだろう。


 自発的に隠れる場合もある。「隠遁」「隠居」「隠者」という言葉があるように、社会的慣習として隠れることは珍しいことではない。昔は「出家者」がおり、今は「引き籠もり」がいる。何ら驚くことはない。あの天照大御神でさえも、一時石屋戸に身を隠した。


 災害時のメディアの放送自粛ムードも隠す文化の一面であろう。災害時に適さないものは慎む。政治学者の丸山真男は昭和天皇崩御時の日本の自粛ムードに対し、それは戦時中に似ていたと語った。戦争時に適さないものは同じく規制されたのであろう。


 ここまで手前勝手に「隠す文化」について述べた。それが日本に固有の文化でなくとも、古今を通じた豊富な例を見る限り全くの的外れでないとも思う。


*朝日新聞の「故事成語」、読売新聞の「編集手帳」程度の分量に合わせた拙い文章です。ざっと触れただけなので、分かりにくいですが、今後まとまった形で投稿しようと考えております。

付けたし

 特定の技術の秘匿はどこの社会においても見られる現象かもしれません。ただ、日本の場合、禅の不立文字に見られるように、学習するというより、体得する方に比重が置かれ、技術を体系化、文章化しようと欲さなかったとは言えるかもしれません。和歌の歌論もそうですが、その内容は歌の巧拙を論ずるのに終始し、和歌の詠みかたを論じたものではなかったようです。

 政治の舞台裏の隠匿については、最近「桜を見る会」でも問題になりました。日本の政治家は兎角文書を隠したがりますが、その遠因は過去に遡ることができるかもしれません。メディアで連日報道されている政治家の不正のさらにその裏で何が行われているか、私たちには知る由もありません。

 物忌みの文化は、平安時代の陰陽道から伝わり(それ以前にもあったと思われる。例えば、藤原京遷都の際の殺人)、徳川幕府の生類憐みの令によって先鋭化しただろうと思います。これは、上流階層における意識の変化ですが、勿論庶民含め下流階層の意識の変化は職能の専門化によってなされたました。すなわち、火葬場、肉屋などです。

 ハンセン病患者に対する非人間的な処遇はつい最近まで行われていたことです。「姥捨山」については、深沢七郎の『楢山伏考』は秀逸です。


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