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現代の生き方について

 現代の生き方について。現代は、迅速さ、突発さ、軽はずみが幅を利かせる世の中だから、深く考えて立ち止まる必要は毛頭ない。仮に、沈思黙考する人があれば、私たちはできるだけの善意でもって彼を泥沼から救わなけばならない。止まって考えているうちにも、時世から脱落し、電車には乗り遅れ、腰は重く、メールの返信は遅く、神経症で一行も書けず、内向的になってしまう。反射的痙攣的に0か1かの二通りの問題解決が尊ばれるこの世の中で、第三の選択肢を考えたり、そもそも問題設定の仕方を問うことはナンセンスだ。問題というのは、試験問題のようにあらかじめ与えられているから、私たちは自分で新しく問いを立てる必要もない。

 人類の遺産の上澄みを取って土台を無視し、短い流行の上に砂上の楼閣を築き、常に未来を見据えて過去を顧みない。このような態度が、これからの時代に求められるのだ。

 他人が何らかのことをやり始める。それに対し、君はそのことの有効性を問うてはいけない。なぜなら、何かをやることがすなわち正義であるから。 

 常に忙しくあること、頭に何ら深淵な思索を持たずとも自身が有能であると感じること、度胸と自信をはき違えること、外面を取り繕って大通りを闊歩すること、ストレスをほんの一時の享楽で紛らわすこと、カタカナ語を乱用して言葉に対して無神経でいること、自分が好きであること、長いものには巻かれること、他人が悩んだときには常識のみを説き続けること、常に消費すること、メディアの発言に則って物事を考える習慣をつけること、書を好まずして美食を好むこと、二、三年の期間で物事を考えること、文化事業よりも商業的な利益を優先すること……

 つまり、私たちは徹頭徹尾「現代的」であらねばならない。ほんの些細な事柄に対しても商売の匂いをかぎ分けねばならない。人間の生き方なんてくそくらえだ。人の幸福なんて、広告で宣伝された娯楽やファッション、食を消費していくことの他にはない。このような世の中で、社会全体を分析したり、哲学で人間の学について研究したりするような毒にも薬にもならないことはやめたまえ。当世では、何でもかでも軽薄かつ傲慢でいることが、他人から最も尊敬を得るだろう。


 ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます。個人の妄語に過ぎませんので、どうぞ悪しからず。

 

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