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11月1日は伝声管、糸電話、電信の日(架空記念日ブログ)

こんにちは。本日は令和5年11月1日(水)です。いよいよ11月になりました、今月もよろしくお願いします。今日の記念日は色々と悩みましたが、電話の話をしたいと思います。111番ってご存知でしょうか?109や110のように、111番もちゃんと役割を持った番号になってます。

今日の架空記念日は?

111番とは

111は着信試験です。これは電話回線が正常につながっているか確認するためのもので、法人、個人関係なく誰でも使用でき通話料もかかりません。スマホでも確認ができます。111番にかけると、ドコモだと音声ガイダンス、それ以外はプープー音と会社によって違いますが電話は切れます。しばらくすると着信しますので、これで正常確認ができた事になります。新しい電話は漏れなくこの試験が行われています。

伝声管

さて、電話の歴史を遡ると伝声管というものが出てきます。金属の管の両端が、漏斗状に開いていて送話口と受話器を兼ねています。電力が要らずわりとクリアに聞こえる事から、広い範囲で使われるようになりました。ただ金属の管を繋げれるところまでなので、同じ敷地内の内線的な役割で使用されるのが一般的でした。この伝声管が発明された記録は残っていませんが、以前このブログでも紹介したフランシス・ベーコンが1627年に著作した「ニューアトランティス」で提案されています。1782年にはDom Gautheyによって行政で使う事を科学アカデミーで提案。これがベンジャミン・フランクリンに支持されてパノプティコン(刑務所)に採用。その後、軍事利用など広がっていく。現在も船舶に使用されています。

天空の城ラピュタ(スタジオジブリ)

糸電話

現在は玩具として扱われている糸電話、昔は糸ではなくワイヤーを使って、音声通話の手段として用いられてきました。糸電話を発明したのは、フック(弾性)の法則でお馴染みのロバート・フックが1664〜1685まで研究し、その様子が1665年の著書「ミクログラフィア(顕微鏡図譜)」で紹介されています。19世紀末には線を使って音響を物理的に遠方に届ける音響通話装置が一時的に欧米で盛んに販売されました。しかしサンダー・グラハム・ベルが音声を電気信号に変えて伝送する電話が開発されると長距離なら電話、中短距離なら安価な糸電話と棲み分けされていたが、ベルの特許が切れると電話会社が乱立した為、糸電話は実用されなくなりました。

1882年刊行の「El mundo físico(物理の世界)」掲載の挿絵
ロバート・フック(リタ・グリア作)

電信

電信とは符号の送受信による電気通信。1809年にドイツ人物理学者サミュエル・トマス・フォン・ソンメリングが初期の電気化学式電信機の実験をする。35本の電線にラテン文字や数字を対応させて、数キロ先で酸を入れた試験管に電線を浸す。送信側がメッセージに従って次々と電流を流す。受信側は電流が流れた試験管が電気分解が起きて水素が発生する為、それを読み取る。この方法は転送速度が遅く、一文字ごとに線が必要なのでコストがとても高くついた、

電信の歴史

1816年にフランシス・ロナルズが最初の電信システムを構築。1820年にハンス・クリスティアン・エルステッドが磁界を発見。同年にヨハン・ジュヴィガーが検流計を発明。1825年にウィリアム・スタージャンが電磁石を発明し、電流で磁力を強化できるようになる。1828年にジョセフ・ヘンリーが導線を多く巻く事で電磁石がより強力になる事を発見、抵抗値が高い長い導線上でも電信が可能になる。1832年にロシアのパヴェル・リヴォヴィチ・シリングが電磁石を使ったシリング式電信機を作る。1833年にはヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスヴィルヘルム・ヴェーバーがドイツでガウス・ヴェーバー式電信機を作った。1835年にジョセフ・ヘンリーリレーを発明、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御出来るようになった。

ウィリアム・スタージャン(1783ー1850)

商業化とモールス式電信

1836年に米国ではサミュエル・モールスが装置の開発を行い、助手のアルフレッド・ヴェイルがアルファベットを現すモールス符号を考案した。(モールス式電信)1837年にウィリアム・フォザーギル・クックチャールズ・ホイートストンが警報機としての電信機の特許を取得。最初の商業化だった。1838年にモールス式電信のデモンストレーションを行い、1843年に予算計上、1844年にワシントンD.C.からアナポリスまで開通。1844年5月には全線が開通した。

チャールズ・ホイートストン(1802ー1875)

まとめ

この後大陸も横断して世界中が繋がるのですが、これらの発明者や科学者の人たちの試行錯誤があったお陰で、今手にしているスマートフォンもあるんだなぁと改めて思いました。

今日のさわだくん

111日チャレンジ24曲目

楓/スピッツ

1998年7月7日リリース、同時収録のスピカとの両A面の19曲目のシングル曲です。1998年3月25日に発売された、8周年アルバム「フェイクファー」に収録されていた「楓」と同アルバムの作成時に録音されたが未収録となった「スピカ」の2曲を両A面として収録しました。

あとがき

現在、第2次戦力外通告期間中なのですが、昨日10月31日に中日ドラゴンズの戦力外通告が発表されました。

溝脇隼人内野手(29)→戦力外
岡田俊哉投手(31)→戦力外、育成再契約予定
近藤廉投手(25)→戦力外、育成再契約予定
福元悠真外野手(23)→戦力外、育成再契約予定
星野真生内野手(19)→戦力外、育成再契約予定

以上の5人でした。

溝脇隼人内野手

岡田投手はリハビリ中だったので先に発表されてましたね。そして溝脇選手はフリー組に入ってたので戦力外か現役ドラフトと噂されてました。びっくりなのは福元選手はびっくりしました、近いうちにブレイク必至だと思われてたので何かあったのでしょうか?まぁ早いとこ上がってきて欲しいです。今年1イニング10失点して晒し者などと話題になった近藤投手。フェニックスでも打ち込まれてたので、そこで決まったかなと思います。星野選手は地元愛知出身で今のところいいアピールが出来てないですね、育成からまた這い上がって欲しいものです。

これまでに
ジャリエル・ロドリゲス投手(26)→自由契約
岡野祐一投手(29)→戦力外
伊藤康祐外野手(23)→戦力外
アリスティデス・アキーノ外野手(29)→退団
ソイロ・アルモンテ外野手(34)→退団
谷元圭介投手(38)→任意引退
大野奨太捕手(36)→任意引退
福田永将内野手(35)→任意引退
(育成)松田亘哲投手(26)→戦力外

これまでに支配下の選手が、投手が5人、捕手が1人、内野手が3人、外野手が4人の計13人減りました。それに対してドラフトで、投手4人と内野手2人、計6人が支配下登録になりますので、昨季と比べてまだ7人少ないわけです。外国人も何人か入団すると思いますが、残りは自由契約から取ったりするのですかね。内野手も濱将之介選手が外野手にコンバートしてるので、実質2人少ないのでドラフトで内野手を上位で2人とった事は批判されてますが、仕方が無かったのかなと思います。

では、また明日。