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11月27日は徳川歴代将軍の日その2(架空記念日ブログ)

おはようございます。本日は令和5年11月27日(月)です。

129年前の1894年11月27日は「経営の神様」松下電器製作所、のちのパナソニック創業者松下幸之助さんの生まれた日です。松下幸之助さんというと数々の名言も残されていますが、その中でも「人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。」これ個人的に一番好きです。

松下幸之助(1894-1989)

今日の架空記念日は?


340年前の今日

1684年11月27日は8代将軍徳川吉宗の誕生日です。ということで前回は10月28日で徳川歴代将軍の日その1ということで初代〜五代(初代徳川家康、二代徳川秀忠、三代徳川家光、四代徳川家綱、五代徳川綱吉)をご紹介しました。今回はその2ということで六代〜十代までご紹介したいと思います。

6代徳川家宣(1662-1712)

任期 47歳より3年(1709年-1712年)
寛文2年4月25日(1662年6月11日)甲府徳川家・徳川綱重の長男として江戸根津邸で生まれる。母は田中時通の娘・保良子。身分の低い母に産ませた事で、家臣・新見正信に預けられ新見左近と名乗る。9歳の時に実父に他の男子が産まれなかったため呼び戻され元服、四代家綱の偏諱を受けて綱豊と名乗る。延宝6年(1678年)父親が亡くなり17歳で家督相続。家綱後の将軍候補になるが五代は綱吉。宝永元年(1704年)綱豊は将軍世継で家宣に改名、江戸城に入り、甲府徳川家はお家断絶。宝永6年(1709年)綱吉亡くなり48歳で六代将軍就任。宝永通宝、酒税、生類憐みの令の一部を廃止。琉球や李氏朝鮮との外交、宝永令(武家諸法度の宝永版)の発布。間部詮房を側用人、新井白石雇用で財政改革推進したが、在職わずか3年で死去。(享年50歳)

家宣は早い段階から徳川光圀が将軍にするように進言してたと言われています。

7代徳川家継(1709-1716)

任期 3歳より3年(1713年-1716年)
宝永6年7月3日(1709年8月8日)六代家宣の四男として江戸城西の丸で生まれる。母は側室の於喜世之方(月光院)。童名は世良田鍋松。家宣は尾張徳川家の徳川吉通を世継にするか、鍋松を将軍にして吉通に政務代行させよ」と言ったが、間部詮房新井白石は鍋松を将軍にして、自分達が政務を代行した。正徳2年(1712年)家宣死去。11月25日従二位権大納言に叙任、家継と称す。正徳3年(1713年)3月25日元服。同年4月2日第七代将軍就任。間部、白石両名による側近政治による家宣から始まった正徳の改革を続行。正徳4年(1714年)大奥御年寄・江島と歌舞伎役者・生島新五郎遊興に及んだ江島生島事件で関係者1400人が処罰される。正徳6年(1716年)4月30日死去。(享年6歳)

8代徳川吉宗(1684-1751)

任期 33歳から29年(1716年-1745年)
貞享元年(1684年)10月21日紀州藩主徳川光貞の四男として城下吹上邸で生まれる。母は巨勢利清の娘・紋子。家老・加納政直のもとで5歳まで育つ。次兄・次郎吉が病死すると紀州藩邸に移り新之助と名乗る。元禄9年(1696年)13歳で従四位下右近衛権少将兼主税頭となり松平頼久を名乗る。元禄10年(1697年)五代綱吉より3万石葛野藩主を賜り松平頼方を名乗る。宝永2年(1705年)に長兄の紀州藩主綱教が死去、三兄の頼職が継ぐが同年に死去したため、頼方が22歳で紀州藩主に就任、就任の際に綱吉より偏諱を賜り徳川吉宗を名乗る。享保元年(1716年)7代家継が亡くなると将軍家の血筋が途絶え、御三家から選ぶことになり吉宗が八代将軍に就任する。間部詮房新井白石を能面して、老中に水野忠之、町奉行に大岡忠相を起用し、財政改革の享保の改革を行う。庶民の意見を政治に反映する目安箱の設置、無料で医療を受けられる小石川養生所の開設、大奥の人員を4000人から1300人に減員するなどを敢行した。しかし増税と倹約の強制により一揆が多発し、経済や文化は停滞した。延享2年(1945年)将軍職を長男家重に譲り、自身は大御所として実権を握る。次男宗武と三男宗伊は養子に出さず、宗武は田安(徳川)家、宗移は一橋(徳川)家を創設。寛延4年(1751年)6月20日に死去。(享年67歳)

9代徳川家重(1712-1761)

任期 33歳から15年(1745年-1760年)
正徳元年12月21日(1712年1月28日)紀州藩主徳川吉宗の長男として江戸赤坂の和歌山藩邸で生まれる。母は家臣・大久保忠直の娘・須磨子。障害により言語不明瞭のため、酒色に耽り芸能を好み文武を怠ったため将軍世継として不適格と見られていた。老中松平乗邑が弟宗武を擁立して廃嫡されそうになるが、延享2年(1745年)に吉宗は家重に家督を譲り、九代将軍に就任、吉宗自身は大御所となる。享保の改革を継続するが、増税による社会不安も継続、凶作により郡上一揆で郡上藩、相模藩が改易。田沼意次を大名に取り立て、言語不明瞭の家重の言葉を唯一聞き取れる大家忠光を重用するが、忠光が亡くなると、宝暦10年(1760年)5月3日に将軍職を家治に譲って大御所となる。宝暦11年(1761年)6月12日田沼意次を重用するように遺言を残し死去。(享年49歳)

10代徳川家治(1737-1786)

任期 23歳から20年(1760年-1780年)
元文2年5月22日九代将軍家重の長男として江戸城西の丸で生まれる。母は梅渓通条の娘・幸子。祖父の吉宗の寵愛を受け、言語不明瞭の父家重に変わって吉宗から帝王学を学ぶ。宝暦10年(1760年)5月3日父の隠居により家督を相続する。同年9月2日に第十代将軍に就任する。父の言いつけ通りに田沼意次を側用し、老中・松平武元らと共に政治に励むが、武元が亡くなると田沼に全てを任せて(田沼時代)、自分は趣味に没頭した。安永8年 (1779年) 世子・徳川家基が18歳で急死したため、天明元年(1781年)に一橋家当主・徳川治済の長男・豊千代11代将軍家斉)を養子とした。天明6年(1786年)8月25日に死去。(享年50歳)

今日のさわだくん

111日チャレンジ50日目

中央線/THE BOOM

1990年7月21日リリースのTEH BOOM5枚目のシングル曲『逆立ちすれば答えがわかる』のB面として収録。1996年6月21日に曲順を変えて「中央線」Instrumental Versionとして19枚目のシングル曲としてもリリースされている。ボーカルの宮沢和史が山梨から上京するときに中央線を乗って東京に向かった時の気持ちを歌っています。

あとがき

今回のさわだくんが演奏した「中央線」。宮沢和史ファンの私からのリクエストでした。初めて聴いた曲との事ですが、とても上手に弾けてますよね。

今日は12月15日で、11月27日にあった事は・・・ベストナインの発表がありました。中日ドラゴンズ岡林勇希選手が外野手部門の2位で2年連続の選出となりました。ゴールデングラブ賞と共に2年連続で素晴らしいですね。

27日の契約更改
柳裕也  10800 → 契約保留
柳選手は「話をもっとよく聞きたい」って事で保留でした。来年も今年よろしくお願いします。

後藤駿太 2100 → 2100
後藤選手は現状維持で契約更改です。来年は中島選手や上林選手、山本選手などの代打ができる右打者が加入しましたので代打での起用が減ると思います。本職の守備固めや代走でしっかりと対応して欲しいです。

中日スポーツ

涌井秀章 10000 → 10000
涌井選手も現状維持。今年は111イニング、東北楽天初年度の2020年に130イニング投げて以来の100イニング越えです。体力は充分にあると思います。最多勝狙って欲しいですね。