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11月14日は水戸藩主徳川光圀の日(架空記念日ブログ)


おはようございます。本日は令和5年11月14日(火)です。今日は夜勤明けで、お家で夜ご飯が食べれる週3日(火金土)のうちの1日です。今から何を作ってどんなお酒を嗜むか楽しみなのであります。普段の生活では自らではありませんが強制的に週4日休肝日を設けていることになります。

今日の架空記念日は?

333年前

1690年11月14日(元禄3年10月14日)水戸藩の水戸光圀が隠居をしました。

徳川光国(1628-1701)

テレビドラマ『水戸黄門』でもお馴染みの水戸の副将軍水戸光圀公の事ですね。この『水戸黄門』シリーズ、最初の第一部第一話が放送されたのは1969年8月4日、それから2019年8月11日の第43部最終話まで通算1248話(特番含む)放送されたました。

水戸藩ってそんなに偉いの?

水戸藩がある常陸国は元々佐竹家が支配していましたが、1600年の関ヶ原の戦いで佐竹義宣徳川家康の東軍に加担しなかった為、戦後処理で常陸54万石から出羽久保田21万石に減転封されます。
1602年に家康の五男の武田信吉が水戸城に入りますが、1603年に21歳で死去。翌月当時2歳だった家康の10男長福丸(徳川頼宣)が入封します。
1606年に長福丸が元服すると常陸介を叙任されますが、1609年に駿河・遠江・東三河50万石に転封となります。(のちに頼宣は1619年に和歌山藩55万石に転封となり、紀伊徳川家の祖となります。)
頼宣の後に当時6歳の家康の十一男の鶴千代(徳川頼房)が入った。この頼房から水戸藩が水戸徳川家と言われるようになります。
水戸徳川家は徳川御三家(尾張、紀伊、水戸)の中でも唯一、江戸定府(参勤交代を行わず江戸に定住する)の藩だった。頼房は三男の光圀を継嗣とした。

つまり水戸藩が偉いのは水戸徳川家だったため。

徳川頼宣(1603-1661)

水戸光圀という人

寛永5年(1628年)6月10日水戸徳川家当主徳川頼房の三男として生まれる。父の頼房はこの時まだ正室迎えていなかった為、母の久は正式な側室でもなかった。(のちに側室になる)
寛永13年(1636年)に元服し三代将軍徳川家光から偏諱を与えられて光国と改める。この時の光国はいわゆる不良であった。
正保2年(1645年)18歳の時に司馬遷の『史記』を読んで勉学に目覚める。
承応3年(1654年)に前関白近衛信尋の娘尋子(泰姫)と結婚する。
明暦3年(1657年)「大日本史」の編纂作業に着手する。
万治元年(1658年)妻・泰姫が21歳で死去

第二代水戸藩主

寛文元年(1661年)7月父・頼房が死去。光国は当時の風習であった殉死を禁止した。(幕府が殉死禁止令を出すのは2年後)
同年8月19日第二代水戸藩主になる。この時に兄を差し置いて後を継いだ事を気にかけて、兄・頼重の長男松千代(徳川綱方)を養子とし継嗣とした。
しかし綱方は1670年に家督相続前に死去してしまう。代わりに光圀の同母兄松平頼重の次男の采女(徳川綱條)が養嗣子となる。

※この後、藩主としては類い稀なる手腕を発揮するのですが、今回の趣旨と違うので割愛させて頂きます。

延宝7年(1679年)諱を光圀に改める。
元禄3年10月14日(1690年11月14日)隠居。徳川綱條が三代目水戸藩主となる。
翌日の10月15日に権中納言を任じられた。

隠居後に諸国を回ったんでしょ?

元禄3年11月29日に江戸を立ち、12月4日に水戸に到着。その後5ヶ月ほど水戸城に逗留した後、久慈郡新宿村西山の西山荘(隠居所)に隠棲した。
元禄5年(1692年)古墳の発掘調査
元禄6年(1693年)水戸藩領内の「八幡改め」または「八幡潰し」を行う
元禄7年(1694年)五代将軍徳川綱吉の命で江戸に登った際に、重臣の藤井紋大夫を刺殺。紋大夫が大老格の柳沢吉保と組んで光圀を失脚させようとしていた為と言われている。
元禄8年(1696年)1月西山荘に戻る。

柳沢吉保(1659-1714)

※このエピソードがテレビドラマ『水戸黄門』で柳沢吉保が諸国漫遊中の水戸光圀に度々刺客を放つ事に繋がっている。

大日本史

元禄9年(1697年)12月23日、亡妻・泰姫の命日に出家する。
元禄13年(1701年)12月6日に死去(享年74歳)
同月迄に「大日本史」は本紀67冊、后妃・皇子・皇女伝40冊、列伝5冊(神武天皇から持統天皇の代まで)、計112冊まで完成していた。

明治39年(1906年)「大日本史」を水戸藩10代藩主徳川慶篤の孫・徳川圀順が完成させる。本紀73巻、列伝170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。1645年に光圀が勉学に目覚めてから、249年経っていた。

徳川圀順(1886-1969)

テレビドラマ『水戸黄門』

さて、冒頭でもご紹介した水戸黄門。水戸光圀の生涯を追いましたがそんなエピソードは出てきませんでした。実際に諸国を漫遊した事実は無く、領内を検分した時も全て馬で移動しています。

では水戸黄門はどこから出てきたのか?

直木賞の元になった直木三十五が書いた「黄門廻国記」が月形龍之介主演の映画「水戸黄門」の原作になりました。ここにヒントがあるようです。

この原作の、元になったのは作者不明の講談「水戸黄門漫遊記」でした。天下の副将軍水戸光圀がお供の俳人を連れて諸国を漫遊するという話です。この頃は副将軍という地位は無かったが、水戸家が江戸城府で将軍に何かあった時の代役という立ち位置から副将軍としたと思われる。

明治時代に講釈師玉田玉知がお供の俳人を家臣に変え、佐々木助三郎と渥美格之進として登場させました。これが格さん助さんです。『東海道中膝栗毛』の「弥次・喜多」の語呂の良さを導入したと言われています。

明治末期に映画制作が始まると、『水戸黄門漫遊記』はシリーズ化され尾上松之助山本嘉一大河内傳次郎市川右太衛門などの当時の大スターが演じました。この頃は黄門様が老け役だったのが嫌われた為、必ず若侍との一人二役でキャスティングしました。この時に直木三十五の原作が使われたのですが、直木三十五原作の映画は『水戸黄門』以外にも沢山ありました。

戦後の剣劇禁止が解禁されると、東映が月形龍之介主演でシリーズ化しました。月形シリーズ中にタイトルも『水戸黄門漫遊記』から『水戸黄門』に変更されました。

月形龍之介(1902-1970)

テレビが普及すると、TBSが月形龍之介主演でブラザー劇場にてテレビドラマ化しました。その後、東野英治郎を主役にしてナショナル劇場シリーズ『水戸黄門』が制作されました。このシリーズの脚本家・宮川一郎は「この紋所が目に入らぬか!」と言いながら印籠を見せる、悪役がひれ伏すという件を入れるとこれが大ヒットし現在まで放送されました。

※土下座文化を増長させたという悪い一面もあります。

まとめ

黄門ってのは、中納言の唐の呼び方です。この当時の中国では冠や鉢巻の色で身分を表したと言われています。

長くなったので2日に分けて書きました御免なさい。

今日のさわだくん

111日チャレンジ37日目

まちがいさがし/菅田将暉

2019年5月14日リリース、菅田将暉のファーストシングル。米津玄師が作詞作曲しており、火曜21時ドラマ『パーフェクトワールド』主題歌。

あとがき

NPBでは明日、プロ野球12球団合同トライアウトが日本ハムファイターズの2軍本拠地、鎌ヶ谷スタジアムで行われます。今年、中日ドラゴンズの戦力外となった岡野祐一郎投手、伊藤康祐外野手、溝脇隼人内野手の出場はあるのでしょうか?そして支配下枠が空きまくってる中日ドラゴンズの選手の獲得はあるのでしょうか?

ちょっとこの話、引っ張ります。

中日がここ10年で戦力外選手を獲得したのは9人(2013年工藤隆人外野手、2014年亀澤恭平内野手、八木智哉投手、2015年多村仁志外野手、2016年岩崎達郎内野手、2017年松坂大輔投手、2020年福留孝介外野手、山下裴紹捕手、2021年大嶺祐太投手)意外に取ってないんですよね。取って良かったと思ったのは工藤、亀澤、八木、松坂、福留の5人。中でも工藤と亀澤は移籍後5年間頑張ってくれました。怪我ならともかく環境が変われば芽が出る可能性があるのは、去年の現役ドラフトで細川、大竹が証明しました。そういう意味でも若い選手を取るのはどうでしょうか。横浜育成の東出直也捕手(20)、巨人育成の高田竜星投手(21)二人とも石川県出身、地元枠でどうでしょうか?

それではまた明日