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「働く」ということ

6月10日(土)13時30分から2時間に亙り、二重橋の明治安田生命MY PLAZAホールにて、生命保険アンダーライティング学院のOB・OG会である『生命保険修士会』主催の公開講演会があり、参加した。
講師は金融庁審議官の三好敏之さんだ。「現代のSDGsの時代に生命保険会社と営業職員の目指すところ」がテーマだった。

私が明治安田生命で生命保険エージェントをしている時、「是非『生命保険アンダーライティング学院』のゼミナールを受講をするように」との推薦をいただき1年間通った。
この『生命保険アンダーライティング学院』は、昭和49年4月に、生命保険の健全な発展の要である外務員(営業職員)の全人格形成のための学校として創設されたものだ。「生命保険営業パーソンは人格者であれ」ということだ。

生命保険ビジネスに関する知識を習得することは勿論だが、その他に、哲学・文学・経済学・心理学・会計学など保険営業に直結しない科目も受講した。昨今リベラルアーツが注目されているが、人さまの人生を預かる保険はビジネスアーツが必須と言うことだろう。

三好さんは、
「これからの生命保険会社や営業職員が目指すところは、近江商人の『三方よし』や『情けは人のためならず』であり、それは昔から説かれていたが今は廃れてきている『日本人の生き方』や『商人道』と存外マッチするのではないか」と言われていた。

石田梅岩の『石門心学』

私も、SDGsの時代は、石田梅岩の『石門心学』や渋沢栄一の『士魂商才』の精神が求められていると思う。

渋沢栄一の『士魂商才』

まさに、これからは日本人がリードしていく時代になるのではないか。

三方よし
情けは人のためならず
自利利他
人は人のために生きる
傍(はた)を楽にするから「はたらく」

「何のために生きるのか、何のために働くのか」は人生の最大のテーマだ。
書店では『働き方』をテーマとした評論が所狭しと並んでいる。

小学生の時、先生から「将来の夢は何ですか」「大きくなったらどんな仕事をしたいと思っていますか」と言われて、そのテーマの作文を書いたことを思い出す。

小学生の何年生だったか、お菓子が食べたいから「お菓子屋さん」になりたいと、子どもっぽいことを作文に書いたことを覚えている。それが私がなりたい職業の初めだ。
中学生の時は、吉田茂元首相の国葬をテレビで見て、国葬をしてもらうような政治家になりたいという意味で「国葬を目指す」と、訳が分からないことを書いた。先生がクラス会でそのことを発表してクラスメイトに揶揄われたこともあった。

東大を目指して、中央官庁の役人になり、政治家を目指そう。「末は博士か大臣か」そんな夢を見ていた。まさに、「仰げば尊し」の歌詞にある「身を立て名を挙げ、やよ励めよ」の世界に生きていたのだ。

銀行に入り、社長(頭取)を目指そうと思った。
私は偉くなるために生まれてきたのか。私は何のために生まれてきたのか。生きる意味とは何か。

一方では、大学で応援部に入部し、「応援とは何か」「応援はどれだけチームの勝利に貢献するか、応援とは自己満足に過ぎないのではないか」と仲間と語り合い、応援の本質を追求する学生生活を送った。この思索が今の私の『応援哲学』の源流になったように思う。

銀行に勤めて、生きることについて、考えているようてあまり考えていなかった。人生を深掘りしていなかった。
人生は短い。あっという間に人生の半ばになってしまった。そんな時だった。
銀行でベンチャービジネスの新規開拓をしている時に、そのベンチャービジネスの何人かの経営者に稲盛和夫さんを紹介され、彼の謦咳に接したのだ。

生きる意味?
働く意味?
仕事の意味?

コペルニクス的転回だった。私の人生はこの時から様変わりした。
「応援」(援けに応える)がベースになって、それに『稲盛哲学』がど真ん中に肉付けされて、私流の『応援哲学』になった。

安岡正篤さんは職業観・仕事観について下記のように仰っている。

「我々は何のために仕事をするのか、何のために会社はあるのかといえば、第一に自己の主体性・自立性を練磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって、発達する自己を通じて、何らか世のため、人のために尽くさんがためである」

「人間はみな職業を持っております。社会学者は職業に二つの意味を説いている。
その一つは、それによって生活を営む手段とすることである。しかし、これは誰しも免れない条件ではあるけれども、それだけでは尊い意味はない。
職業の大切なことは、それが生活の手段であるということのほかに、その職業を通じて、何らかの意味において、世のため、人のためになるということである。
これあるによって職業は神聖であるということができる。これあるによって進歩がある」

やはり、生涯現役で生きるべきだろう。少なくとも私はそうありたいと思う。
人間は生きている以上、日進月歩、成長し続ける動物であるべきだろう。仕事は人を成長させるから、生涯に亙り仕事をして自己練磨をするのだ。
そして、魂を磨き続けて、この世でピークの魂レベルになって次の世に旅立つことだ。だから、上り坂の人生でなければ棺を覆う時に魂をピークにすることはできない。

また、和田秀樹さんが「70歳の正解」(幻冬社新書)で書いているように、「認知症予防の特効薬は働くこと」であり、一層健康に留意して生涯現役を貫くことで「幸せな人生」を生きることができる。

海援隊の「母に捧げるバラード」は「働く意味」を武田鉄矢さんに語らせている。

鉄矢
ひとつだけ言うとくがなぁ
人さまの世の中でたら
働け、働け、働け、

鉄矢
働いて、働いて、働き抜いて、
休みたいとか、遊びたいとか、
そんなこと、お前
いっぺんでも思うてみろ
そんな時は、そんな時は
死ね
それが人間ぞ、それが男ぞ

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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