見出し画像

死を直視しながら生きる人生

田坂広志さんは、著書「教養を磨く」で書いている。

深い「死生観」を掴むことで、一人の人間として成長、成熟し、良き人生を送ることができる。

この深い「死生観」を掴むために、我々に問われるのは、

人は、必ず死ぬ。
人生は、一度しかない。
人生は、いつ終わるか分からない。

という三つの真実を、覚悟を定め、直視することができるか否かである。

そして、その直視によって、我々に、三つの力が与えられる。

第一に、人生の「逆境力」が高まる。
人生における最悪の逆境に直面しても、「命あるだけ、ありがたい」という絶対肯定の姿勢で、事に処することができる。
そして、不運や不幸を嘆くのではなく、「この不運、不幸と見える出来事にも、何かの深い意味がある」と思い定め、すべてを自身の人間成長の糧として解釈する力が身につく。

第二に、人生における「使命感」が定まる。
「人生は、一度しかない」ということを直視するならば、「その一度限りの、かけがえのない命を、どう使うか」という意味での「使命感」が心に芽生え、それが、世のために人のために何かを為そうとの「志」へと昇華していく。
そして、一人の人間が、深い使命感と志を抱くならば、その思いに共感する人々が周りに集まり、その志を実現するための力を貸してくれる。

第三に、人生の「時間密度」が高まる。
人間は、「あなたの命は、あと三〇日」と言われたならば、一日一日を慈しむようにして大切に使う。しかし、「あなたの命は、あと三〇年」と言われたならば、「まだ三〇年もあるか」と思い、安逸な時間の使い方をしてしまう。
だが、「人生は、いつ終わるかわからない」ということを真に直視するならば、「与えられたこの一日を、精一杯に生き切る」という姿勢が身につき、その覚悟を持たない人間に比べ、時間の密度が圧倒的に高まっていく。

と。

人間は、絶えず死を意識すること、死を直視して生きること、絶えず、如何にして「よく死ぬか」を考え、生きることで、如何にして「よく生きるか」「幸せな人生」を送ることができるのかを考える。
すなわち、「よく死ぬことは、よく生きること」なのだ。

若い時は、死は遠い存在だ。そのため、それほど死を意識して生きていない。
しかし、50歳を過ぎて、「会社員生活も、もうそろそろ」、「人生も半ばを過ぎたな」と意識するようになると、人生100年時代の折り返しの年齢でもあるし、少しずつ、死が身近に感じられるようになってくる。

私が銀行を辞めたのも、
「人生80年と考えたら、44歳は折り返し地点を通り過ぎてしまった歳だ。残り半分しかない人生を、思い通りに悔いなく生きていきたい。
では、私に与えられたミッション(使命)とは何だろう。
きっとそれは、人を本来の忖度ではない忖度までして生きたくはない。嘘偽りなく、真っ直ぐ生きることだ。それはまだ何か分からないが、私でしかできないことをすることだ。
そう一大決心をして、その世界は「冬の日本海」かも知れないが、思い切って飛び込んでみよう」と思い、中途退職して、七転八倒、紆余曲折しながら、後半の人生を四半世紀歩いてきた。

そして、古稀を機に「生前葬」で人生に区切りをつけた。
そして、戒名を授けていただき、戒名に恥じない後半生を生きていこうと思った。
これからは、「緩やかな"上り坂"」の人生を生きていこうと思った。そして、生涯現役を貫き、最期は仕事のさなかに前のめりに倒れて次の世に旅立つ人生を送りたいと思う。

「不動院重陽博愛居士」
が私の戒名=今の本名である。

その意味するところは、
「陽のエネルギーを持った、志高い人たちが、多く私の周りに集まって来てくださる。彼らを広く愛すること、彼らに愛を広めること、そして、私の力が、彼らが幸せになる一助になること。それはすなわち、私の心が幸せになることだ。私の霊魂が幸せになることだ。

そんな不動心を持った人間になることを目指して、これからの後半生を生きていきたいと思う。

私には妻と、血のつながった三人の息子たちと四人の孫たちがいる。
私の願いは、「彼らが幸せな人生を送ってくれること」だ。私が次の世に旅立ったその後のこともしっかりと考えることが、「死を直視して生きる」と言うことだ。
私は、家族に対しても、後顧の憂いがない人生を送りたい、と思うものだ。
そして、いま、そんな人生を、コツコツと歩いている。

人生は、短く、長い。

人間の本性は霊魂であり、体や心はその霊魂のレベルを高める道具だ。
その体と心と言う道具を大切にして、それを大切に使って、人間の本性である「霊魂を高める人生」を送りたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?