見出し画像

チーム【OUEN NOTO】を考える

[チーム【OUEN NOTO】]で能登の復興をサポートしたいと思う。

元日の能登半島地震の後、高校の同級生や能登の友人知人、[OUEN 塾 in 金沢/石川]でお世話になった方々や、[OUEN 塾]の協賛企業の皆さん等々、石川県在住の方々と頻繁に電話をしている。
[OUEN Japan]は文字通り「日本を応援する」NPOである。そして今、その[Japan(日本)]を、より具体的な形で、[NOTO(能登)]に焦点を当てていきたいと思う。

それは、学生たちや企業の皆さん、これからの女性たちを応援することとは相対するものではない。
[応援]は、全てのパーツが活性化することで相乗効果が産まれる。そのコーディネーターがNPOである[OUEN Japan]であり、その団長である「小林博重]なのだ。私は、そんな自負を持っている。

私が生まれたのは、石川県鹿島郡鹿西町だ。平成の大合併で鹿西町は鳥屋町と鹿島町の3町が合併して、人口15千人強の中能登町になった。七尾市と羽咋市と志賀町、富山県氷見市に隣接している。

私がいた中学生まで(半世紀前)は外国人は一人もいなかったと思う。それが、今では工場労働者を中心に外国人は300人以上生活していると聞いている。様変わりだ。
中能登町は、海がない内陸なのだが、狭いながらも鹿西平野(平野と言われるような広さではないが)があり、そこに工場がいくつか建っているそうな。
能登半島は観光立国、漁業が中心だが、それから外れている中能登町だった。この地震を切っ掛けに大いに生まれ変わってほしい。

この度の能登半島地震では奥能登が大被害に遭っている。奥能登ほどではないものの、中能登でも和倉温泉がある七尾市も被害を被っている。それに比して、中能登町は家屋崩壊の被害はあったものの死者はゼロだった。
そんなことも震災復興のヒントになるのではないか。

中能登町の宮下町長にお電話して、一度お伺いしたい旨をお伝えした。宮下町長は、私より1年先輩の旧鹿西町の方だ。実家も1kmも離れていない。
昨年の石川県人祭や関東中能登会で急速に親しくなった。昨年は、お願いされた"ふるさと納税"もした。

宮下町長には、「[OUEN Japan]で、[チーム【OUEN NOTO】]を組成し、何かできることをやりたいと思う。それについて、伺っていろいろお話しをお聴きしたい。できるなら3月中旬のご都合は如何でしょうか」とお電話したところ、それではと、3月14日に伺うことになった。

宿泊施設は今はボランティアの皆さんで一杯で、七尾市も中能登町では宿泊はできないとか。3月中旬もボランティアが使っているのではないかと。そんなことで、その日は車で約1時間の金沢まで戻り、宿泊することにした。
15日は、金沢の知人たちと会って、ザックバランに現状をお聞きし、これからの能登について考えたいと思う。

これからも[OUEN 塾]の延長で、能登地域の創生のための[チーム【OUEN NOTO】]で、石川県への出張が増えるだろう。

能登半島の復興のためには、今こそ、私の人脈を石川県と首都圏&関西圏を巻き込んだ相乗的なものにしていかなければならない。
それが[OUEN Japan] であり、それが私の究極的な人生のミッションではないだろうか。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?