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融通無碍な人間になりたい。

サラリーマンは土日祝が休みなのだが、私のような、自由業といえば何かインテリっぽいが、ただのフリーターの自由業ごときの人間は、年中無休で年中遊び感覚の「何でもあり」の人生を生きている。
アポが全くない日は土日に限らず、健康のため、雨天以外は2時間ウォーキングに勤しむことにしている。

6月6日は何もアポがない平日だった。
11時に外苑前の事務所を出て、絵画館前→赤坂御所前→四ツ谷駅→半蔵門→靖國神社→市ヶ谷駅→防衛省前→富久町→四ツ谷四丁目→新宿御苑前→国立競技場前→外苑前のコースをウォーキングした。2万歩弱だ。
市ヶ谷でランチを摂って、14時半過ぎに外苑前の事務所に着いた。10kmは歩いただろうか。

散歩道

スマホを持って出たので掛かってきた電話に出ることができるから仕事には差し障りはない。また、スマホは万歩計にもなる。文明の力は私を自由にする。

じわっと汗を掻く。事務所に戻って、軽くシャワーを浴びる。メールやLINEの返信、こちらからの発信もする。ベランダの草花に水遣りして、ちょっと落ち着いてお茶を一杯。今日は思いがけない慰安日になった。

こんな自由気儘な生活を送っていると、もう決して会社勤めはできないなと思う。毎日会社に出掛ける仕事のスタイルはコロナ以降当たり前ではなくなってきたが、サラリーマンはたとえ会社に出勤しなくとも私のような風来坊でないのだから、ウォーキングというわけにはいかないだろう。

私は真面目だし、遊んでいるわけではないから、それなりに仕事はしっかりする。
そのため、法人や個人との緩いプロジェクトチームのような組織の一員にはなるが、固まった組織の構成員にはならない。なりたいとも思わない。なりたくても70歳過ぎの年寄りを誰も誘ってくれない。そして、サポート役をするにしても、この歳になると、相当程度、自由度がないと仕事ができないようになってしまった。なってしまったのではない。自らそのようにするのが一番楽と思うようになったのだ。
私は「パンダ」や「ドラえもん」と自称しているが、それはこんな自由気儘な人間=自由人になったからだ。そして、オンとオフを分けない気楽な生き方は仕事を遊びにしているからだ。

信交会懇親会で、1人ならずの人に「坊主が似合う」「坊さんより坊さんだ」「顔が穏やかになった」と言われた。これは褒め言葉だ。少しずつ戒名の「不動院重陽博愛居士」に近づいてきているのだろう。ありがたいことだ。
昔は少しギラギラしていたのだろう。

そう言われてみれば「応援の心=黒子に徹する」ことが、ようやく血肉として分かってきたように思う。これも「古稀=従心」になったからだ。「心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」の心境だ。

私は組織のトップの柄・器ではないから、いつの時からか自然と、トップになりたいと思う心がなくなってきた(応援団長は応援団のトップだが、応援という黒子組織を誰かが纏めなければ応援団は成り立たないのだから、応援団長になるのは表舞台のトップとは違う)。
それは「応援の心」「応援の真髄」「黒子に徹する」という意味が少しずつ分かってきたからだろう。

✴︎人のために生きる
✴︎援けに応える
✴︎利他に生きる

『花の応援団長』になることが、第二生で私が目指すところだ。

フレー! フレー! 小林!
頑張れ! 頑張れ! 博重!

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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