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個性をフルに活かして生きる

Wikipediaでは、[個性教育]について、下記のように書かれている。

[個性教育]
各人の個性を尊重し、その持っている可能性を引き出そうと努める教育。歴史的な諸条件の中で、ひとりひとりの児童生徒が、かけがえのない人間的個性を形成することを目標に行なうという教育思想に基づく教育。

また、[個性]をネットでくくると、


[個性を大切にするとは何か]

個性を大切にするとは、自分だけではなく他人のことも考えることです。それは、自分の意見や価値観だけでなく、他人の意見や価値観を尊重し、理解しようとする姿勢を指します。
個性を大切にするとは、自分だけの世界に閉じこもるのではなく、他人と共に生き、共に成長することを意味します。

すなわち、"個性を大切にする"とは、人のことを思い遣る"恕の心"を持つことなのだ
決してわがまま勝手をして生きることではない。

私は、能登で育った中学生までは自分で言うのもなんだが、飛び切りの優等生だったと思う。
慈父である祖父と厳母である祖母に育てられた。祖父母はことあるごとに、「人として、しなければならないこと、してはいけないこと」を私に教え諭した。
祖父は明治15年生まれ、日露戦争で勲功を立てた。祖母は明治20年生まれ、氷見から行儀見習いで東京広尾のお屋敷に奉公をしていた。二人とも小学校も出ていない。
字を書くことも読むこともできない、いわゆる文盲だった。

文盲とは、
①字が読めないこと
②学問がないこと
③常識を弁えないこと
④本質を弁えないこと
と定義されている。

しかし、祖父母は、
①字は読めなかったし、
②学問はなかったが、
③誰にも引けを取らない礼儀正しい常識人であったし、
④"人間とは如何にあるべきか"と私にことあるごとに教え諭した教育者だった。
教育とは決して大学で学ぶことだけではない。

真の優等生とは、個性の塊で、人を思い遣る、心の温かい、人に優しく接することができる、芯の強い人間なのだと思う。

私が小中学生の時は、優等生でもその意味での真の優等生ではなかったと思うが、祖父母の薫陶を受けたおかげで、人間としての根っこのところで優等生の萌芽のようなものが芽生えていたのだと今になって思う。私は素晴らしい祖父母を持ったことを誇らしく思っている。

高校では受験勉強に押し潰されることなく自由奔放な高校生活を送り、大学では応援部でちょっと理不尽なこともあったが、それで義理・人情の世界を知ることができた。
そんな学生生活のおかげで、私の真の優等生の萌芽が少しずつ成長してきて、古稀を過ぎた今になって、「いい人生を送ってきたな」と自分を誉めることができる。自画自賛と言うところだが、その底辺には"謙虚と感謝の心"がある。

多くの人たちにお世話になって何とか生きてきた。そして、少しずつ真の優等生になっていく。これから何年何十年生きるか知るはずもないが、その行程はずっと上り坂の後半生になることだろう。

そして、そのような人生を送ることができたのは、それは私の意思ではないように感じている。私が思うまま、そのまま生きてきた、真っ直ぐに生きてきただけのことだ。
七転八倒、紆余曲折の人生であったが、全て神仏か天か宇宙かサムシンググレートのお導きがあって今の自分がいるように思う。
私の意思のようで、それは私の意思ではない。全て、サムシンググレートの啓示だったのではないか。災難も、苦労も、全てサムシンググレートが"お前に良かれかし"と思われた所以なのかなと思う。
そうでなければ、私の周りにかくも心温かい、素晴らしい心根の人たちが集まってきてくださらないだろう。そして、その人たちが私の足らずをカヴァーしてくださる。
私は完全無欠の人間でなくて良かったとさえ思う。完全無欠な人間なら、自分が一人で何でもできて、人さまのお世話になることはないのだから、人は私の周りに集まっては来てくださらない。できが悪いことは真の優等生になる近道ではないのかとすら思う。

そんな恵まれた人生なのだから、その恩返しをしてから次の世に旅立たないと、サムシンググレートにお叱りを受ける。
そして、その恩返しの題材に、サムシンググレートは、私に〜能登の創再生の応援〜という素晴らしいミッションを与えてくれた。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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