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乃木大将のご命日に旧乃木邸を見学する

昨日は、了聞の馬形さんの招待で、「旧乃木邸一般公開と裏赤坂のんびりウォーク 日帰り」ツアーに参加した。

集合場所は、11時、都営大江戸線「六本木駅」の7番出口の地上。13名のツアー参加者。皆さん、私と同年代の高齢者たちばかり。
六本木駅〜東京ミッドタウン〜檜町公園〜乃木神社〜旧乃木邸へと、のんびりウォークだ。

六本木は旧乃木邸がある赤坂7丁目に隣接しているが、どうして集合場所は乃木坂駅ではないのだろうと思ったが、それには意味があった。

乃木大将は、1849年(嘉永2年)11月11日に長州藩の支藩の長府藩藩士・乃木希次と壽子の三男として、長府藩上屋敷(現在の六本木ヒルズ)に誕生した。
東京ミッドタウンや檜町公園がある六本木界隈は、往時の長州藩の上屋敷や下屋敷があった場所であり、乃木大将には浅からぬ縁がある場所だった。そのこともあり、隣接した赤坂7丁目に乃木邸を建てたのだ。


2人の兄が夭折したため、乃木さんは世継になったが、体質は虚弱であり、性格は臆病だったとか。
学者になろうと学を志して、兵学者の玉木文之進(吉田松陰の叔父、松下村塾の創立者、乃木家の親戚)に弟子入りして学問の手解きを受けた。
萩藩の藩校・明倫館に通学し、一刀流剣術を学ぶ。その頃から、学者への道をあきらめ、武人(軍人)として生きる決心をしたらしい(学びは人間を変える)。

武人として、第二次長州征討で武功を挙げた。明治維新後は、大日本帝国陸軍の少佐に任官し、明治10年の西南戦争には歩兵第14連隊長として従軍するが、薩摩軍に連隊旗を奪われた。
その責任を感じて、乃木は自殺を図ろうとするが、盟友の児玉源太郎少佐に諌められ自殺することを思いとどまったのだとか(このことが、明治天皇大葬の当日の大正元年9月13日の殉死のおりの遺書に「西南戦争で軍旗を失ったことへの責任をとるための自死」だと記されている)。

ドイツ留学後の報告書には、「軍人は名誉と道徳を重んじるべきであり、特に兵士の上に立つ将校は、自分の言動で部下だけではなく社会に模範を示さなければならない」ということが書かれている。
その後の乃木大将は、この記述を体現するかのような振る舞いをするようになったとか。軍人のみならず人間の鏡ではあるまいか。
これはフランスの「ノブレスオブリージュ」そのものだ。

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)
19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。法的義務や責任ではないが、自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となっている。

乃木夫妻には、長男の勝典(明治12年生まれ)と次男の保典(明治14年生まれ)の二人の息子がいらっしゃった(いずれも日露戦争で戦死)。

祖父は、私が幼少の頃、よく日露戦争のことを話してくれた。
「乃木大将は軍人の鏡だ、軍神だ。ご子息が戦死されて、その悲しみはどこの親でも変わることはないだろうが、それをおくびにも出さず、公私混同をしない、その人格に頭が下がる」と。
そして、戦地で「馬上の乃木大将を手を合わせて拝んだ」と言っていた。

私の祖父(明治15年生まれ)は、乃木さんのご子息とはほぼ同年代だ。
金沢の第九師団第七連隊の歩兵二等兵として日露戦争に従軍した。

乃木将軍を仲代達也さんが演じていた映画の「二百三高地」では、二百三高地の戦いの前の盤龍山の戦いで、「第九師団第七連隊は、盤龍山前哨堡塁に突入失敗、第七連隊ほぼ全滅」というテロップが流れていた。

祖父は、奪われた連隊旗を奪還し、九死に一生を得て、生還したのだ。そんなこともあって、二等兵ながら、金鵄勲章を受章する栄に浴した。

そして、上官に、二等兵から二段跳びで軍曹にとのありがたいお話をいただいたのだが、「文盲の自分では二等兵が相応しい」と断腸の思いでお断りしたのだと。

だから、祖父はいつも、私に言っていた。
「お国のために尽くす人間になれ。そして最高学府に行くんだぞ。学がなければできることもできない。今は陸軍士官学校も海軍兵学校もない。行くなら東大だ。東大に入って日本のために尽くすんだぞ」と。

私は、祖父の日露戦争の戦いを思う時、私がこの世に生を享けているのも奇跡と言わずして何と言うことができるだろうかと、「生きているありがたさ」を痛感する。

また、祖父が私に期待していたことを考えると、「今のこんな私で良かったのだろうか」と、祖父の想いとは180度違う生き方をしている自分を申し訳ないと思う気持ちもある。

人間はいろいろな想いを持って生きている。

『人間として如何に生きるべきか』

という、ただ一つの人生の指針だけでも、素晴らしい生き方をすることができると思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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