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久しぶりに"趣都金澤東京交流委員会"に参加する

昨日(6.5.17)、新宿三丁目の貝料理専門の「はまぐり」にて、[趣都金澤]東京交流委員会委員長の佐野浩祥さんを「イタリアに送り出す会」が開催され、久しぶりに参加した(前回参加したのは、コロナ禍前だったから4〜5年前だったろうか)。
呼びかけ人は、新しく委員長に就任される水口克夫さん。9名が集まった。

[趣都金澤とは]

「日本一趣深い都市『趣都・金沢』の実現」をキーワードに、金沢の強みである「文化」を機軸とした市民主導のまちづくりを行うNPO(特定非営利活動)法人です。
提言の発信、国内外の文化経済都市の研究、事業の開催等を通じ、金沢市とその周辺地域のまちづくりの推進、人材育成や地域経済の活性化に寄与することを目的とする、プラットフォーム的な役割も担っています。官庁・自治体・大学・経済団体・まちづくり組織・NPOなど、価値を共有する団体との連携・合同・委託事業も展開し、総合的なまちのあり方を考えながらボトムアップでまちづくりを行う活動をしています。

私は、[認定NPO法人 趣都金澤]の会員になっている(会員数は280名超)。
理事長の浦淳さんは浦建築研究所社長をされていて、私は同社の顧問をしていることが切っ掛けで、浦社長の勧めでこのNPOに入会し、東京交流委員会に所属している。
会には長くご無沙汰していて幽霊会員だったのだが、佐野さんの送別会で幽霊会員を返上することになったわけだ。

会員は、何らか金沢に関係している、または関係していた人が入会している。勿論、金沢市を中心とする石川県出身の人たちが多いのだろうが、加賀百万石の金沢だ。地方都市の中でも金沢は燦然と輝いている。せっかく何らかのご縁で石川県に住んで、学んで、働いた人は多くの人が金沢の魅力に惹きつけられる。そして、皆さん、心が温かい。穏やかな心の持ち主だ。人が好き、争いは嫌い。皆さん、愛すべきキャラの人たちばかりだ。

石川県は能登と加賀の二つの地域で構成されているが、その中心に金沢市がある。
私は能登半島(中能登町)の出身だ。

"能登のとと楽、加賀のかか楽"という言葉があるように、能登と加賀は男女の立ち位置がちょっと違う。
海に潜って貝や昆布を取る海女さんや取った魚介類を行商するおばさんに代表されるように、能登の女はよく働く。そして、女が働いている間は、男は家で酒を飲んでいる。それが"能登のとと(父父)楽"。
他方、加賀では、甲斐性のある男は奥さんに芸事を学ばせる。それを"加賀のかか(母母)楽"という。
まんざら当たっていなくもない。

私は中学生まで能登で生まれ育ち、高校は金沢で3年間学んだ。同級生は7割は金沢市出身だったろう。金沢を含む加賀地方では8割以上だろう。私は、最初は引け目を感じたが、金沢の人たちは能登の人を温かく優しく見守ってくれる。品がいい。人間が大らかだ。
そもそも、能登は金沢(加賀)に対抗しようとは全く思っていない。そんなえらいもんではない。お互いがそれぞれのキャラを認め合い、尊敬し合って、手を取り合って生きていこうとしている。それが石川県人だ。

他の県は、東西とか東西南北とか、対抗意識があって、県としてまとまっているようでまとまっていない。そこのところは石川県は違う。素晴らしいところだ。これは江戸時代の加賀藩の前田のお殿様のおかげなんだろう。

また、石川県人は、石川県人の他に、石川を愛する人たちをウェルカムの心で大歓迎する。このことも素晴らしい。趣都金澤は、それを具現化しているアットホームなNPOなのだ。

私は、能登半島地震以来、3月から毎月、能登と金沢に出張している。能登の復興の応援のためだ。
まずは、生まれ育った中能登町だが、能登9市町の中で唯一消滅可能性自治体に入らなかった中能登町を過疎地のモデルの町にすることだ。それを中能登地域に、さらに奥能登地域まで拡げていく。"能登の創再生の応援"だ。これが私の第二生のミッションになった。

来年1月25日(土)15時〜18時、
東大駒場で[OUEN Japan 信念会]〜能登の復興の応援〜を開催する。300人を目途とする。能登からも首長ほかいらしていただく。

そのことを昨夜の「佐野さんをイタリアに送り出す会」で皆さんに話したところ、「趣都金澤東京交流委員会の皆んなで参加しよう」と、ありがたいお話しをいただいた。

友だちの友だちは皆友だち
類は友を呼ぶ

さあ、これから、
皆んなで手を取り合って、元気で明るい日本をつくっていきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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