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実りの白秋を生きる

今から2年前、2022年(令和4年)1月の「つどい」(安田信託銀行&みずほ信託銀行のOB・OG会である「信交会」の季刊誌)に「私の人生(春夏秋冬120年)を語る」を寄稿した。

人生は春夏秋冬に擬せられる。私は昨年、数え70歳の古稀を迎えた。

振り返れば、あっという間の70年だった。気持ちは青年だが、身体は昭和27年製の中古車だ。
人生100年時代。私自身はそれを120年と設定している。私にはまだあと50年余りの人生がある。

しかし、生きとし生けるものには必ず避けて通ることができない『死』というものがある。
「絶えず死を意識して生きる」、「生死という両極端を併せ持つ人生観を持って生きる」ことが、生をより深く充実したものにすることができる。

今ここに、私の70年の来し方を振り返り、これからの50年の行く末を展望してみることで、「幸せな人生とは何か」を考える縁(よすが)になれば幸甚と思う。

と記し、私の人生の春夏秋冬を書いた。その時は、その春夏秋冬は以下のとんでもないものだった。

1.春=青春(0歳〜45歳)
2.夏=朱夏(45歳〜70歳)
3.秋=白秋(70歳〜100歳)
4.冬=玄冬(100歳〜120歳)

今から振り返ると、「若いな。相変わらず、青二才だな」と汗顔の極みだ。

その年の6月に生前葬&出陣式を執り行い、第二生をスタートして2年以上が過ぎた。
今年の元日、ふるさと能登半島の地震に遭遇し、私の人生の考え方が変わったように思う。
以前に比して、揺るがないミッションを持つこと、確固とした人生哲学を持つことの大切さを強く認識するようになったし、地に着いた生き方を持つようになったと思う。

そして、私の人生の春夏秋冬を見直してみると、それは玄冬から始まり、青春と朱夏を経て、実りの白秋に至り、次の世に旅立つものでありたいと思うに至った。

すなわち、
1.玄冬は、生まれてから大学卒業までの23年
2.朱夏は、社会人になり銀行に入社し、中途退職するまでの22年
3.朱夏は、銀行退職から、一匹狼ならぬ一匹パンダで七転八倒してきた古稀までの25年
4.そして、白秋は、古稀に生前葬&出陣式を執り行い、それからの第二生。その期間は、30年やも知れず、50年やも知れず。

これが一番収まりがいいし、外連味のない淡々人生、堂々人生を送ることができるように思う。

古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていました。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」です。

それによると、人生は冬から始まります。まず生まれてから幼少期は未来の見えない暗闇のなかにある。そんな幼少期に相当する季節は「冬」であり、それを表す色は原初の混沌の色、すなわち「玄」です。
玄冬の時期を過ぎると、大地に埋もれていた種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎えます。これが「青春」です。この青春の時期を過ごす人を青年といいます。
そして青年が中年になると、夏という人生の盛りを迎えます。燃える太陽のイメージからか、色は「朱」が与えられています。
中年期を過ぎると人生は秋、色は「白」が与えられ、高齢期は「白秋」とされるのです。

ちなみに最近、作家の五木寛之氏が『玄冬の門』(ベスト新書)という本を書かれましたが、五木氏は「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の順で人生をとらえておられるようです。

ところで、それぞれの季節には「四神」と呼ばれるシンボルとなる霊獣がいて、東西南北を守護しているとされました。
北を守る亀と蛇の合体は「玄武」、東を守る龍は「青龍」、南を守る雀は「朱雀」、西を守る虎は「白虎」です。

このように、古代中国には四季と方角と色と動物と人生とを対応させ合う、じつに壮大な宇宙観がありました。そして、その宇宙観のフレームのなかに玄冬、青春、朱夏、白秋という人生観、すなわちライフサイクルがあったのです。

現在の「人生80年」をこのライフサイクルに当てはめてみると、ちょうど四季がそれぞれ20年ずつとなります。誕生から20歳までが玄冬、20歳から40歳までが青春、40歳から60歳までが朱夏、そして60歳を過ぎると白秋に入る。
人生の始まりを春ではなく冬ととらえたところに老成した中国古代思想の奥深さを感じますが、とくに高齢期を白秋、つまり実りの秋としたことは重要です。そこには「老い」とは人生の実りの秋、人生の収穫期であるという考え方があります。

少年期に亀や蛇のように地をはい回って努力を重ね、知識と技術を得た青年期には龍のように飛翔し、中年期にはスズメのように群がりさえずって世間をにぎやかに飛び回る。
そのようにして蓄積してきた「人生の実り」を高齢期にこそ収穫し、純白な虚心でゆっくり味わい、かみしめる。もはや些事(さじ)雑務にわずらわされることなく虎の如くに生きるべきなのです。そして白き虎として天下を睥睨(へいげい)し、ひと声ほえれば万衆注視というのが人としての理想なのかもしれません。

私は今、実りの秋、"白秋"を生きている。淡々と、堂々と、生きている。そして、その白秋は人生の晩節だ。晩節を汚すことなく、美しく、逞しい晩節を生きていきたいと思う。

致知8月号に、「人生の真価は晩節に宿る」〜先達に学ぶ"晩晴学"〜という前坂俊之さん(静岡県立大学名誉教授)の寄稿が載っていた。

古代中国では人生の季節を青春・朱夏・白秋・玄冬と呼んだ。超高齢社会を生きる日本人は、玄冬、晩節の歩み方が切実に問われていると言えよう。加齢と共に輝きを失う人、反対に輝きを増す人の違いはなにか。三十年余りをその研究に捧げてきた前坂俊之氏の目で、晩節を凛々しく生き抜いた長寿の達人を解剖していただく。

〜100年生きる日本人に必須の「晩晴学」〜

いま、日本に暮らす100歳以上の高齢者、いわゆる〝百寿者〟が、60年前と比べてどのくらい増えているかご存じでしょうか?

1963年の統計で、その人口は全国で僅わずか153人でした。それが2023年には、男性1万550人、女性8万1,589人で、合計9万2,139人(約602倍)に増えています。

この傾向は今後も続き、一説には団塊の世代が100歳を迎え始める2047年に50万人を突破、49年には65万人を超えると予測されています。これは昨年(2023年)度の島根県の推計人口約64万9,000人を上回る数字です。

留意すべきは男女共に平均寿命が延びている半面、人の手を借りずに生活できる健康寿命との間に10年前後の開きがあることです。昔と比べたら天国に思える人生百年時代は、晩年に病気や介護など様々な問題を孕んでいるのです。

そんな時代にあって、気がつけば傘寿となり果てた私がライフワークとして続けているのが、日本の発展に尽くしたリーダーの研究、そして長寿者の研究です。
1993年、新聞社を50歳で辞め大学教授に転身して以来、その研究と講演活動の傍、ブログを毎日執筆し、7,000本の記事を公開してきました。かくも早く第二の人生に進んだのには、理由があります。

一つは戦争の爪痕が生々しく残る岡山市で育ち、高校2年になった時、突然の心筋梗塞で父親を亡くしたこと。52歳でした。もう一つは大学卒業後、作家を志して新聞社に入るも、数年後にまさかの倒産を体験したことです。

親父より長く生きたい、一刻も早く自分で生きる力を身につけたい。その一心で記者時代に複数の本を出版し、それが学術的に認められて大学に移籍。前職で深刻な人口予測に触れていたため、どうしたら晩年を凛々しく生き、天寿を全うできるか、そのヒントを長寿の達人に求め始めたのです。

折しもこの7月に新1万円札の顔となる渋沢栄一翁が、晩年についてこう言い遺しています。

「人の生涯をして重からしむると軽からしむるとは、一に其の晩年にある。随分若いうちは、欠点の多かった人でも、其の晩年が正しく美しければ、其の人の価値は頗る昂まって見えるものである」

人生の軽重を決めるのは晩年、晩年が立派でありさえすればその人の価値は上がる。では晩節に輝ける人はどんな人か。私は「晩晴学」と題して研究していますが、いまこそ真剣に考えるべきテーマではないでしょうか。


前坂さんは、長寿の達人として以下の3人の日本人を挙げている。

1.七十五歳から日本復興へ
"電力の鬼" 松永安左エ門
2.八十六歳で復活した
"憲政の神様" 尾崎行雄
3.九十四歳まで東西の架け橋に
"人類の教師" 鈴木大拙

長寿の達人たちは、人生の節目に必ず試練に遭いながら"マイナスをプラスに変える思考"をする。

彼らの生きざまを見ると、老いるほど活力を増している。「知行合一の精神」だ。知行合一は陽明学の実践であり、それはいま日本人に欠けている真の個人主義だ。

仕事こそ人生なり

死を恐れるのは、やりたい仕事を持たないからだ。やりがいのある、興味ある仕事に没頭し続ければ、死など考えているヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのである。

やりたいと思ったことを知行合一、年齢に拘らず実践していくと、生死を超えられる。
知行合一と生死一如、これこそが日本人の強さの源、老いてなおさらに前進する秘訣だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)







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