我欲(自利利他)を極める
10月2日。2年間の準備期間を終え、これから本格的に私の第二生が始まる。
8時半過ぎの東京発の北陸新幹線かがやきで金沢に向かう。ダブル黄さんと東京駅で待ち合わせをする。ダブル黄さんとは、OUEN副団長の黄英蘭さんと、彼女の飲み友達であり、妹と可愛がっている黄海豊さんのことだ。
黄英蘭さんは中国東北部のハルビン市・大連市の出身、黄海豊さんは中国南部の浙江省温州市の出身だ。
同じ中国でも中国は広い。日本とは比較にならない。日本の北の北海道と南の沖縄どころの距離ではない。距離の間隔がまるで違う。
日本人の間隔で同じ日本人だという感覚と、同じ中国人だという感覚は、同じようで同じではない。そう思って話をしないと話しが噛み合わない。まずはそんなことが大前提にある。
私は黄英蘭さんとは知り合ってやっと2年半くらいだ。まだそんなに長くはない。しかし、ザックバランに人生を語り合う。22歳の歳の差を超えたアットホームな付き合いができる。彼女とは親子ほど歳が離れた異性だ。それが、こんなにもザックバランで何でも人生の本質的なところまで語り合うことができるとは、私は不思議でしようがない。
こんな人は日本人にはいないと思う。だからこそ、能登への珍道中をすることができる。
黄海豊さんとは、昨日知り合ったばかりだ。35歳以上歳の差がある異性だ。黄英蘭さんのご紹介があってのことだが忌憚なく話すことができた。
人間と人間との付き合いは、付き合っている時間の長短や国の異同はそんなに問題ではない。
人に対する思い、考え方、人生観等、ハートの問題に尽きるのではないだろうか。
それなら、日本と中国の国の関係はもっと仲良くできないものかと、政治がどうだこうだ言う以前の人間的なところでそう思う。それは複雑怪奇な政治の世界を分かっていないと言われるのを承知の上だ。
その本質的なところは、人間の欲のなせるわざなのだろうか。人に勝ちたいとか、人の上に立ちたいとか、人を妬むことが人間の業であるからか。
幼いころ、私は立身出世をしたかった。末は博士か大臣か、身を立て名を挙げることを目指して、能登から東京に登って、人生を生きていこうと思っていた。
それが、稲盛和夫さんとの邂逅を経て、「人は何のために生きるのか」、「人としての幸せは、人が人のために生きることだ」と、頭では分かったようでなかなかその域まではそんじょそこらでは到達しない。しかし、少しずつそう思うようになってきて、その思いが少しずつ血肉になってきて、「私はこれからどう生きようか」と思い、思う方向に走っている自分を見つけることができて、「人間は何とくだらない争い(諍い)をしているな」と心から思うようになってきた。
昨日、宮下中能登町長から、私と黄英蘭さんに「中能登町地方創生アドバイザーを委嘱する」との委嘱状をいただいた。身の引き締まる思いだ。
地方創生は、中能登町だけではない。七尾市や羽咋市、志賀町、氷見市(富山県)の能登半島南部の地方創生からスタートして、北部の奥能登まで拡げていく。
過疎地の先端を行く能登半島を、これからの過疎地のモデルケースにする。
そのためには、"自分のためは人のため、人のためは自分のため"という"自利利他の精神"で、能登の創生再生のために応援することだ。
人間の我欲をアウフヘーベンすること、我欲を極めることをどこまですることができるか。それにかかっている。
今日の午前中に、中能登町から羽咋市役所をご紹介いただき、訪問する。中能登町の発展のためには、自治体の壁を乗り越えた"大同団結の広い心"が大切なのだ。我だけが良ければいいという利己主義から脱却していかなければならない。
私は、OUEN Japanは、漸くそのスタート台に立ったところだ。
さあ、これから"実りの白秋"を満喫して生きていこう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)