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人生劇場という舞台で、自分らしく演じる

「ああ、あんた花してはりまんの。わて河合してまんねん」

京都大学名誉教授だった河合隼雄氏の言葉です。

先日お亡くなりになった稲盛和夫氏は、自身がとりわけ大きな影響を受けたのが、安岡正篤氏と中村天風氏だと話しています。
稲盛氏が安岡正篤氏の本で影響を受けたことの中から、次の内容を挙げています。

~人生は個々運命としてきまっている。しかしそれは天命ではあるが、宿命ではない。その人の思いと行いによって運命は変えられる。~

辞書(コトバンク)によると、天命とは、「天の命令。天が人間に与えた使命」と書かれています。宿命は、「生まれる前の世から定まっている人間の運命」とあります。「宿命」の説明にも「運命」が使われていて、理解の整理が難しいのですが、上記の示唆を私なりには次のように解釈しました。

・自分に対する天の命令は決まっている。それに逆らおうとすると人生はうまくいかない。自分が負うべき使命は決まっているのだから、それを知り、受け入れたほうが人生がうまくいくということだろう。

・そのうえで、自分の使命をどのような形で体現するかまでが決められているわけではない。自分なりの使命の果たし方を試行錯誤し続けるのが人生なのだ。

論語で「五十にして天命を知る」という言葉があります。あの孔子でさえ、天から与えられた自分の使命を悟ることができたのは五十歳あたりになってからだというわけです。しかも、当時の五十は今の八十ぐらいに当たるのかもしれません。

そう考えると、天命を知ろうとするのを先延ばしにする必要はありませんが、それなりの年齢からでも知るのが遅すぎることはない、とも言えるのではないかと思います。

「ああ、あんた花してはりまんの。わて河合してまんねん」

稲盛和夫氏は、この河合隼雄氏の言葉に感銘を受けられたそうです。この言葉について、私なりには次のように考えました。

・私たちは、置かれた場所で咲けばよい。花を咲かせる場所自体は天命で決まっていて、無理に変えようとする必要はない。しかし、どのような花を咲かせるかは自分で変えていくことができる。
咲かせ方によって、どのような場所からでもその人なりに周りや社会に影響をもたらすこともできる。脇道や日陰に置かれても、表通りや日向に置かれなかったことを嘆く必要はない。脇道や日陰なりの咲き方と、世のため人のための尽くし方を探し続けていけばよい。

稲盛氏は、京セラも第二電電も当時の時代に必要だったが、たまたま主役を演ずる役割が自分に当たったのだと語っています。
社会をひとつのドラマと考えれば、主役を演ずる人も必要ですが、入口で切符を売る人、大道具小道具も必要というわけです。この言葉には、主役だからといってそれを自分だけの才能のように利用するべきではないということと、当たった役を最大限務め上げるべきだという、2つの思い、覚悟が感じられます。

安岡正篤氏は、日本の政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱となり絶大な影響力を発揮した方です。
没後35年たった今でもその人格が慕われて、その「人間力」が多くの人に影響を与え続けています。その示唆のひとつである上記は、私たちが生きる上での大切な視点ではないでしょうか。

花が花を演じるように、河合という私は河合を精いっぱい演じている。上記の運命に関する安岡正篤氏の考え方が、これ以上ないぐらい凝縮された言葉ではないかと思い、勇気をいただきます。


人生は、人それぞれが与えられた(天命)、[人生劇場]という舞台で、それぞれの使命を果たすためにどのように演じて生きるのか。それが[人生]というものだろう。
自らの天命を知り、その天命を素直に受け入れて、自らの使命をどのような形で体現するか。[人生劇場]という舞台をどう演じて生きるか。

今私は、その[人生劇場]の"秋の陣"を迎えている。そして、その秋の後には冬はない。終幕としての"秋の陣"を如何にして生き抜いていくのか。これからが大勝負である。

[人生劇場 ]

やると思えば どこまでやるさ
それが男の 魂じゃないか
義理が廃れば この世は闇だ
なまじ止めるな 夜の雨

時世時節は 変わろうとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
俺も生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界

義理と人情を秤にかけりゃ
義理が重たい男の世界

義理が廃ればこの世は闇だ

義理だ恩だと並べてみたら
恋の出てくる隙がない

恕の心=思い遣りの心
恕とは、「自分がされたくないことは人にしない」こと。

人は、人のために生きる

自分が何をしてもらったら一番嬉しいかのかを、いつも考えることだ。それは、人(相手)から「ありがとう」と言ってもらえるようなことをして、相手から、「ありがとう」と言ってもらうことではないか。それで、お互いが気持ちが豊かになる。
それは、人(相手)のためであり、究極は自分のためでもある。

男とか女とかは関係ない。人間として、如何に生きるべきかだ。

人から恩を受けたら、倍返し、三倍返しをする。それが人間だ。

鉄也、ひとつだけ言うとくがなあ
人さまの世の中でたら
働け、働け、働け、鉄也
働いて、働いて、働き抜いて、
休みたいとか、遊びたいとか、
そんなこと、おまえいっぺんでも思うてみろ
そん時は、そん時は、死ね
それが人間ぞ、それが男ぞ

底辺に、"人のために生きる"ことがあると、人間は幸せになる。
そして、そのために、働いて、働いて、働き抜くことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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