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ふるさとのはなしをしよう

七夕首都決戦まで早1ヶ月を切った。東京都知事選には40名以上が立候補する見込みと言う。姦しいことだ。

人口が一局集中している首都東京である。東京都は自治体の中で別格総本山のような"国と同列の自治体"であり、この選挙はアメリカの大統領選挙のようなものだ。

私はもっと本筋のところで関心を持つべきなのだが、つい野次馬根性が頭を擡げてしまう。

"日本を応援する"と高々と掲げた[NPO OUEN Japan]の団長(理事長)ではあるが、その思いの先は、"ふるさと能登"に飛んでいる。
思いを能登に持って、過疎地能登の復興応援からスタートして、日本を変えていくのだと意気込んでいる。これが、私に与えられた人生の最終コーナー(と言ってもこのコーナーは長く、あと29年、あわよくばあと49年続く)でのチャレンジであり、これが一番私に相応しい。
野次馬根性で以て、首都決戦から人生の生き方を多くを学び、その学びをこれからの人生に生かしていくということだろう。

都知事の立候補者に目を移すと、神通力は多少衰えたりとは言えども、現職は強い。誰もが認めるところだろう。彼女は、私と同い年の聡明才弁の女傑である。女帝とも言われている。
ある政党は抱きつこうとするが、それをサラッと流す。無視するようで無視はしない。また、都知事8年の実績は、ちょっと彼女を上から目線にしてしまう(ように思う)。私は彼女が深沈厚重か磊落豪雄かは知るところではないが、その強かさの爪の垢ほどでも学びたいところだ(しかし、その能力は私には皆無だ。ないものはない。ないものねだりはもうこの歳になったら決してしてはいけない。そして、その生き方は私らしく生きることとは反する。あくまでも、「私は私らしく生きる」ことなのだ)。

対する挑戦者はピンキリだ。

勝算ありと果敢にチャレンジする、こちらも聡明才弁な女傑が登場した。舌鋒は滅法鋭い。が、ちょっと疲れる人だ。ゆとりがない。彼女がつくった土俵に現職はまったく乗ってこない。それはそうだろう。勝つ相撲とは、自分がつくった土俵のど真ん中で取るものからだ。

その他、チャレンジャーは多士済々だ。ほとんどの人は、本音のところ、「勝算あり」と思って出るわけではないだろう。
売名行為か。はたまた、迸る思いの丈を都民・国民に伝えんがためか。国士かそうでないのか。よく分からない。「昔の名前で出ています」そんな人もいる。
40人以上の立候補者が出るのだから、圧倒的多数は泡沫候補だろう。「よく出るよ」と思う。選挙供託金の300万円は没収されるし、それどころか、その他にも選挙には莫大なお金がかかるだろう。
人それぞれ意図があって立候補するのだろうが、東京には多種多様な価値観の人が多くいるものだと思う。

私は、大学では応援部に属していた。神宮球場の学生応援席で、応援に来ている学生たちに、"学生注目!"と叫んで、一言二言、その時のトピックスを交えて思いを伝えるのだが、その時のトピックスの一つに東京都知事選挙があった。美濃部さんが現職の都知事の時の選挙だった。
"保革の谷間に咲く一輪の白百合"のキャッチフレーズで立候補した人がいた。泡沫候補だった。
ある応援部員は、「東大は、東京六大学の中で、この候補者のように、"保革の谷間に咲く一輪の白百合"なんだ」そのようなことを言った。それを聞いて、学生たちはみんな大笑いしていた(なんだかんだ言って、場を和ますのが東大応援部の役割でもある)が、私は、「東大野球部は泡沫候補と同列なのか。東大野球部は爽やかな清涼剤でありたいものだ」と、そんなことを思ったことを忘れない。

兎に角、東京都知事選は全国民が注目する特別な首長選挙だ。
都知事は、美濃部〜鈴木〜青島〜石原〜猪瀬〜舛添〜小池と続いた。今度は誰が当選するのだろうか。
私は、政治家たちに絶望している人間だが、棄権するつもりはない。まだ誰に一票を投じるか決めてはいないが。

今、私の心は半分以上、ふるさと能登に飛んでいる。
昨日、副団長と打ち合わせをしたり、企業を訪問したりしたが、彼女から9月初旬の大連・旅順行きの話があった。

「団長、大連・旅順の旅行の時に、哈爾濱(ハルビン)まで足を延ばしますか」

彼女は哈爾濱で生まれた。私が"あぁ、上野駅"を私の応援歌にして上京したように、彼女は、青雲の志を持って、哈爾濱から大連に上ってきたのだ。その哈爾濱に行きますかと言う。

彼女は私のふるさと能登を応援してくれる。そして、毎月、能登に同行している。また、私も彼女のふるさと哈爾濱に行ってみたいと思う。

大連・旅順は、私の祖父の青春を燃やした人間の原点であり、ふるさとだ。また、哈爾濱は、能登を応援してくれる副団長のふるさとだ。

ふと、北原謙二が歌う「ふるさとのはなしをしよう」が頭に浮かんだ。昭和40年(1965年)、私が小学6年生の頃、流行った流行歌だ。
この当時の歌(青春ソング)は、どこかのどかで、心が安まる。ホッとする。心が温かくなる。青春とはいいものだと思わせる歌ばかりである。私が大好きな歌ばかりだ。

砂山に さわぐ潮風
かつお舟 はいる浜辺の
夕焼けが 海をいろどる
きみの知らない ぼくのふるさと
ふるさとの はなしをしよう

鳴る花火 ならぶ夜店に
縁日の まちのともしび
下町の 夜が匂うよ
君が生まれた きみのふるさと
ふるさとの はなしをしよう

今頃は 丘の畑に
桃の実が 赤くなるころ
遠い日の夢の数々
ぼくは知りたい きみのふるさと
ふるさとの はなしをしよう

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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