死んだら価値のつく人生を

私が死んだら、
もしかしたらこの文章たちが、
作った音楽が、
撮った写真が、
YouTubeの動画が、
何気ないTwitterやInstagramが、
もしかしたら誰かの何かの価値になるかもしれない。

なんの役に立たない日々の生活の記録たちが、
死んだら「作品」になって価値を持つかもしれない。

そうなったら私は心底本望だと思って、あの世でガッツポーズするんだ。

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