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駅のホームで8分間

大好きな大好きな友達に、引っ越し前の最後に会ってきた。これまで月に1回(多い時は月に2回)会い続けた友達と、今までみたいに会うことが出来なくなるのが、引っ越しの1番の嫌なところだった。

引っ越しが近づくにつれて、数ヶ月前に「もう大丈夫かも」と思えた外食のつらさが復活して、精神的にきつくなってきていた。常に緊張状態にあるような、パニックがすぐそばにあるような。

これまで大好きな友達と一緒にいる間も、外食前に人知れず吐きそうになったり、食べながら、歩きながら、話しながら、吐き気と動悸を抑え込んでいた。つばを飲み込みすぎて気持ち悪くなったり、空気を飲みすぎて気持ち悪くなったり、そんなつらさを誤魔化すために飴玉を口の中で転がして、エチケット袋を手にするか迷って、トイレまでの動線を確認して。
緊張状態で死にそうな気持ちを必死に隠した。
修行してるのか?こうまでして会わなくちゃいけないのか?とどこかで思いつつも、やっぱり会いたくて、一緒に居たかったから、ご飯もなんてことない顔して一緒に食べた。

バカみたいに、ずっと騙し騙し会いつづけて、好きだなーと思ってた。いちばん好きだなーと思っていて、大事だけど、母から言われた「友達はしょせん友達で、それ以上にはなれない」という言葉がずっと引っ掛かっていた。
引っ越したらもう誰も会いにこないだろうね〜会いに行くこともないね〜なんていう空気が家にはいっぱいで、友達のことを、“かけがえのある”存在みたいに言われている気持ちだった。

引っ越したらもう会わないだろうし、今日会って、それで最後かもしれない。死にそうになりながら取り繕って会うことないかもしれない。友達として割り切って、また明日も会えるみたいに、いつも通りお別れすればいい。

今日もこっそり吐きそうになりながら、手の震えを誤魔化しながら、でも楽しく、なんとか一緒にいられた。本当はこんな状態じゃなく、一緒にいたいんだけど。
帰りの電車を、途中まで並んで座る。
ひと駅、ひと駅とお別れが近づいてきて、言い残したことをお互いに探していて、見つからなくて、どうしよう、とずっと思っていた。

誤魔化すみたいに、あと一駅だね〜と言う私に、友達が「だめかも」って、涙を堪えていて、つられて涙が滲んだ。泣くと思わなかった。泣いてくれると思わなかった。別れを惜しんでくれる友達がいることが、こんなに嬉しいと思わなかった。寂しいのは私だけじゃなかった。
実家がなくなって帰る理由がなくなっちゃった、って言ったら、「私に会いに来いよ」と言ってくれた。あなたを理由にしていいのが嬉しかった。

ただの友達に抱くこの気持ちは、多分重すぎるけど、恋とか疑うのも安っぽくなって嫌だった。大事な人に出会えて、幸せだった。

友達の頭をぽんぽんたたいて、電車を降りた。
人の波に乗って歩き出して、すぐ引き返した。たった今自分が降りた、友達の乗る電車が居なくなるまで見送った。
なんだかめちゃくちゃ泣けてきて、駅のホームの隅っこで、タオルを顔に押し当てた。

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