見出し画像

誰かに話すみたいに

本当は、全部言えたらいいのにな、とは長いこと思っている。

ずっとふらふらしていることも、情けない姿も、何年も前にした、一緒に住んじゃう?なんて話も、引っ越すのは、本当はめちゃくちゃ寂しくて嫌かもしれないってことも。

物心ついた頃からずっとここで育ってきた。思い出は全部ここにある。坂だらけで緑と花が多いまち。自転車が使えない不便さはあるけど、高台に行けば見晴らしが良くて、虫も多いけど、心は安らいだ。お金持ちの幼馴染や同級生から違いを感じて、自分がそちら側ではないことを幼いながらも理解した。
この場所から実家がなくなることで、自分に何の関係もない場所になって、数年後にここに来ても、もう自分の居場所が、帰る場所がないってことが寂しくて仕方ない。

でもそんなダサいこと、言えないよね。地元への執着がすごいじゃん。地方から出てきて東京で生きる友達にそんなこと、子ども過ぎて情けないから。

誰でもいつか通る道なのに、こんなに駄々をこねるみたいな、言っても仕方のないことは、人に言わないほうがいい。

場所と、家族を天秤にかけて、後者が重かっただけだから。誰も居ないのに、自分だけ残ることの方が寂しく感じただけだから。

自分で選んだことだから、仕方がない。変わらないでいたい、それだけのことが、絶対にできない。なくなるものばかりに目を向けるのをやめよう。一生会えないわけじゃないんだから、いつだって会える距離なはずだから。


お風呂に入るといつも、誰にも言えないことを、友達や家族に全部話してしまう想像をしている。何度シミュレーションを繰り返しても、本当に言えたことがない。浅い会話を繰り返して、深いところに入ってきてほしくないと、確かに思っていて、それが相手にもバレているから、全然踏み込まれない。そうすると、私だって踏み込む権利は与えられない。

創作物でよくある、自分の気持ちをぶちまけて相手を困らせちゃった!みたいな瞬間は、いつだって現実には起こらなくて、そんな雰囲気じゃないよ、急に言ったら変だよ、何言われるか分かんないよ、って、悪い私が囁くから、気付いたらまたいつも通りの会話をしてる。

言いたいことを飲み込み続けてきたら、言いたいことが何も無くなってしまった。
友達から、この雑誌見た?この番組みた?と連絡が入るたび、ありがたく返信するけれど、気付いたらいつも、友達から連絡をくれている。私はただ答えているだけで、日常の些細なことを友達は教えてくれるのに、私は何も教えられない。教えたいことがない。友達のことは大好きなはずなのに。自分の話ができない。なぜ?

ネガティブな考えしか出てこない、お腹がじりじりと痛む夜はもう、寝るしかないってことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?