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それでも人生が続く

中高生の頃、「死にて〜」って言う友達が多かった。私もきっと沢山言っていたはずだ。

だけど23歳にもなると、もう誰もそんなことを口にしない。今そんな言葉を軽はずみに言おうものなら、病院を勧められそうなくらいだ。


23歳にもなって、まだ死にたいとか言ってるのがかなりイタイってこと、分かっていても「もうおしまいがいい」とずっと思っている。

「死にたい」は実のところ言葉のあやで、本当は全然死にたくなんてない。痛いのも怖いのも嫌だから、誰にも命を渡すつもりはないし、具体的な自殺の方法を考えたり、衝動で飛び込めるような感情ではない。だけどもう消えて終わりにしたい、ただずっとそう思ってる。平たく言うと「死にたい」になってしまうんだけど。

この歳になって発する言葉の重みが、喉につかえて音にならないだけ。それでも生活が終わらない。


なにもかも自分のせいで、自分が逃げ続けている結果で苦しい。だから消えてしまいたい。逃げ続けるために消えてしまいたい。自業自得すぎて全然笑えないけど、もう全くこの世界に現実味がない。ペラペラの偽物の夢を見ているみたい。それなのに腹も立つし、怖くなるし、悲しくなる。感情だけは立派に仕事をする。皮肉だ。


たまたまYouTubeで出会った動画で、『回避性パーソナリティ障害』というものを知った。

回避性パーソナリティ障害(AVPD)
・拒絶、批判、または屈辱を受けるリスクのある社会的状況や交流を回避することを特徴とします。
・回避性パーソナリティ障害の人は、自分が拒絶されたり、批判されたり、恥をかいたりすることを恐れるために、そのような反応を経験する可能性のある状況を回避します。
MSDマニュアル家庭版

要するに、「もうこれ以上傷つきたくない」ということが、人生の優先事項になっている状態であるということ。
今の私そのものでドキッとした。

そうかもしれない、そうなのかもしれないけど、そうであるならば、なんて無様な人間なのか。どうしようもない姿なのか。知れば知るほど、欠けて怠けた人間で、面倒な人間であることが浮き彫りになっていくような気がした。

普通は当たり前に治っていく小さな擦り傷が、ずっと気になるってことだ。安全な場所にいないと耐えられないこころ。みんなどんどん歩いていく、傷付いた分だけまた強くなっている。誰にそんな情けないことが言えるだろう。

そもそも私は甘えていて(実際甘えている)、名前が欲しいだけなんじゃないか(名前が付いたら安心するけど、何も進展しない)。


明日は逃げてしまいたい用事がある。なにかと逃げる理由が欲しくて、ずっと雨を願っていた。これ以上嘘も本当も言いたくない。それでもやっぱり逃げられないし、逃げる勇気も私にはなかった。

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