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祖母は今も笑っている

祖母が亡くなった。

祖母が床に臥せてから、ずうっと暗い気持ちが続いていた。
思い返せば呆気なく、あっという間に逝ってしまった。
だけど祖母は、もうこれ以上苦しまなくて済む。

そんな風に思わなければ、納得できなかった。
身近な人の死を経験するのは初めてで、家族内でも考え方や受け止め方で、何度も口論になった。みんな不安で、余裕がなかった。

「幸せだったのかな」
「もっと生きたかったんじゃないかな」
「ずっと苦しかったはずだ」
「結局誰にも看取られずに」
「寂しかったんじゃ」
「家に帰りたかったんじゃないか」

考えても仕方のないことを勝手に想像して、勝手に泣くのは祖母に悪い気がしたし、何にも分からないから、ただ、
「これから先、祖母はもう苦しまなくていい」
そう思うことで自分を納得させた。

自分のために、泣かないために。考えるのをやめた。

家族と話して思ったことは、やっぱり「生きていて欲しい」のはエゴだということ。生きていることが絶対的な幸福ではないかもしれないこと。
どこからどこまでが生きていることで、どこからがしんでいるのと変わらないのか。
分かるのは本人だけで、元気だったときの言葉をみんなで思い出した。



訃報があったのは早朝で、それまで全く泣かなかったし、覚悟はできていたつもりだったけど、寝ぼけ半分でなぜか涙が止まらなくなった。
この世のみんな、一人残らず200年後には居ないのに、どうしてこんなに悲しくなるんだろう。


色んなことがあって、私は祖母の葬式には出なかった。死に顔も見れていない。

だからまだ、私の中で祖母は自分の足で歩いているし、今日も祖父の隣で静かに話を聞いている。足の大きさが私と同じなことを、嬉しそうに話すだろう。次に家に行ったときには、スーパーで買った練り切りや、パチンコの景品のお菓子なんかを勧めてくれるに違いないのだ。

人間は現在だけを生きているんじゃない
その時その時を人は懸命に生きてて
あなたが笑っている彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし、
5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて
今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる
大豆田とわ子と三人の元夫 7話より


祖母は今も笑っていて、私の彼氏の有無を聞いてくる。それは私が現実を受け止められていないからかもしれないけど、元気な祖母は、私の中にずっと居ていい。


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