サラダプレートと軽やかな友達

・お茶をしに入ったカフェは思ったよりかなりリーズナブルで、脳がパチパチするほど甘いプリンが来た。頼んだ取り皿もお冷のおかわりも来ず、厨房からは何度もお皿をドンガラガッシャンと落とす音が聞こえた。
それでも足を休めて話が出来て、エネルギー補給ができるんだから、全部のカフェって、これくらいいい加減でも良いのかもしれない。これくらいで良いのなら、私でもへっちゃらで働けるのかもしれなかった。

・友達と中古ショップでアイドルのブロマイドを吟味していたら、ハウスダストで鼻がぐずぐずになり、そのあと鼻水製造マシーンとして忙しくしていた。中古ショップの店員さんはアレルギー、大丈夫なのかな。

・野矢茂樹さんの本を買った。高校生の頃買って挫折した「はじめて考えるときのように」という哲学の初歩の初歩みたいな本を、大人になってから読んで凄く楽しかったから、巨大な本屋で著書を探し回った。
大きい書店は目当ての本を探し始めると広大すぎて途方に暮れるけれど、闇雲に本と出会うには最高の場所だった。できるなら、一日の締めくくりではなくて、一日の初めの、心も体もまだまだ元気なとき、一日かけて回るべきだ。

・いぬは家で寂しそうに、私の帰りを待っているらしい。24の娘が22時に帰宅するのは、じゅうぶん遅いことらしい。一人暮らしの友人は、まだまだ遊びたかったかもしれない。
各々の居る環境でだんだんとズレていく価値観が、大人になると友達が減ってしまう理由なのかも。それも受け入れていけたなら、ずっと友達で居られるかな。

・お守りの指輪を失くさずに済んだ。色々と怠ってサイズが少し大きくて、気を抜くと失くなっていそうだった。でも気の持ちようか、なんだか今日はひとと一緒でも、比較的快調で居られた。


キャッチのお兄さんの声にぎょっとして目が合った。歩調を変えることなくそのまま歩いて過ぎ去ろうと思ったが、友達に組まれた腕を引き摺られるようにして、お兄さんを撒いた。

電車がもう行ってしまいそうでホームドアのランプが点滅して発車ベルが鳴り響いたとき、普段の私なら、挟まったら恥ずかしいなあとか、乗れないかもしれないなあと留まるところ、友達に引かれて飛び乗った。

自分1人なら諦めるばかりの色々を、友達はいつも、ひょいとその先に連れて行ってくれる。
でもでもだっての諦める理由ばかり探している自分が、幼い子どものようで情けない。


サラダプレートが余裕で食べ切れて凄く嬉しかった。完食することへの達成感と、罪悪感のなさ。久しぶりに外食で残さず済んで、それだけでハッピーな日。どこの飲食店にも、シンプルなサラダプレートがあって欲しい。いつでもそれを頼もう。

カフェで温かい紅茶を頼むのは当たり。どうせずっと店にいると、指の先まですっかり冷えた。カリカリで骨身に寒さが染みるから、人に合わせるのではなく、自分を過保護にあたためていこうと思った。

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