本当は、かきたいことなんて1つもない
noteを始めた理由は、7年半続けてきたTwitterだと、呟きが積み重なって流れていくばかりで、何も残らないような気がしたからだ。
知り合いしかいないようなごく一般的なTwitterユーザーでも、私は私の呟きが結構好きだったので、いっそ長文で色々書いてブログに載せた方が見返しやすいだろうし、知り合いのみの環境ではちょっと言いづらいこと(例えば一番最初の記事の外食恐怖症についてや、最近書いた自分の誕生日に思うことなど)も気にせずに書けると思った。
なんていう考えでnoteを始めたものの、いざこの余白と向き合ったとき、ここまでして伝えたい(残したい)ことなんて、自分の中にはひとつもないなとがっかりした。
別に誰も彼もが自分の意思を第三者に伝えたいと思っている訳ではないし、そんなもの無い方が普通なのかもしれない。でも何かを発信する側に憧れていた自分は、やっぱりちょっと自分が空っぽなんじゃないかと思ってしまった。
下書きが現在7つあって、全てタイトルは決まっているが、結局自分の中で納得も解決も出来ていないアレコレは、自問自答を繰り返すきっかけになるばかりで放っておかれたまま。
数行に渡るまとまらない言葉の下の広い余白に、なんとなく責められているような感覚になる。
学生時代 美術部に所属していたが、そのときにも同じように余白がつらかったことを思い出す。
一番最初に絵を描くことを意識したのは小学生の時。観察日記で描いた植物の絵が、なぜか普通に描いただけなのに周りより上手だった。そして誰かに褒められたことで、「絵を描くこと」は私の中で「得意なこと」になった。お陰で中高6年間美術部所属だ。
高校生になって、コンクールに出す大きい絵を描かなければいけなくなった。B1くらいのかなりデカい模造紙に「はばたき」などの抽象的なテーマからイメージを膨らませ、エスキース(下絵・素案)を部内で発表。そこから選ばれた者だけが本描きに入ることができる。
確か夏休みの間にエスキースを完成させる必要があったのだが、私が逃げずにエスキースを提出し、本描きに入れたのは高校最後の夏だけだった。1年の夏も2年の夏も、B1の白が埋められなかった。
私が今まで描いてきた絵というのは、目の前にあるものをそのまま描くことだったり、地球環境のポスターや読書感想画みたいなもの。
好きなものを描けと言われたとき、何も描きたいものがなくて途方に暮れた。
卒業制作のアイデア出しの際、顧問の先生から「自由帳の端に描く絵は上手なのに」と言われたのをずっと覚えている。多分文章を書くことも、Twitterという自由帳の端に書くだけで私には充分だったんだと思う。
私はクリエイティブな人間にはなれないけれど、ずっと憧れ続けて何となく真似するのを辞められない。
今では絵を描くことは「得意なこと」ではなく、人と繋がるためのツールだったり、何かを図解するための手段になった。
文章で発信したい意志も考えも持ち合わせていないけど、自分が納得して整理をするための手段としてnoteを使っていきたい。
発信する側になろうとせず、自分のための手段であると思わなければ、ずっと余白に苦しめられ続けるような気がするから。
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