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海月には骨があるのか?〜奇跡の象徴〜


▶だからこそ、人が「見たい」と願うもの

(今回の記事は、タイトルからしてすでにネタバレ。あらかじめ「謎解き」の、その「答え」を明かして進めます。)

 さて「海月くらげの骨」は、「あるはずのないもの」ではなく、だからこそ人が「見たい」と思う、《奇跡》の象徴
 ところが、従来、これを用いた清少納言の機転はまったく理解されていません。「あるはずのない海月の骨だ」と言って、自らがつかえる中宮ちゅうぐう定子の大切な弟君・隆家たかいえ少年をからかったのだと思われています。『枕草子』の「海月の骨」の話は、高校古典の定番教材。おかげで清少納言のことを嫌いになってしまったという人もいるようです。

▶辞書の「説明」

 さてこの「海月の骨」について、

①《クラゲには骨がないところから》ありえない物事のたとえ

と記す辞書の説明は、間違っています。「だからこそ、見てみたい」という心の機微を踏まえていません。王朝和歌の用例に照らしてみても、それは最も肝心な点。
 これに加えて、単に、

②また、非常に珍しい物事のたとえ

と述べるのも、人が「一生をかけてでも出会いたい」と願うものの存在をとらえることなく、まったく不十分だと言わざるを得ません。ちなみに①・②の内容は、「デジタル大辞泉」(JapanKnowledge版)の解説であり、一般的なものと言えます。

▶定子に贈った扇のお話(「海月の骨」)

 隆家が、ある時、最愛の姉君・定子に扇をプレゼントしようと考えました。すばらしい骨を手に入れたので、それにふさわしい紙を選んでこしらえさせようとしているのですが……。
 出来上がるのを待ちきれず、いち早く、姉君のもとへ贈り物の説明をしに参上しました。ところが、気持ちばかりが空回りしてなかなかうまくゆきません。ついには、「本当に、あれほどの骨は見なかった」と言ってしまうのでした。

 その瞬間、口を突いて出たのが、清少納言の「海月の骨だ!」のひと言です。つまりそれは、「ひとが滅多に見られない奇跡の象徴、あの《海月の骨》のホンモノですね!」という発見でした。

 隆家は、その清少納言の言葉を「自分が言ったことにしてしまおう」と言って笑い、おおいに喜びました。馬鹿にされても気づかない、お人好しだからだなどと考えるのも間違っています。彼はほかの誰より気位い高き貴公子でした。

▶想定される「後日たん」(見事な説明)

 後刻、隆家は殿上人らに対してあらためて、「まったく見たことのない骨」の話をするつもりです。そして大人たちが皆、心配顔になったところで、おもむろに「わからないかい? 海月の骨だよ」と言ってみせます。一瞬あって膝を打つ者が現われ、やがてその場の全員が理解するのです。
 「滅多に見られないほどすばらしい扇の骨」だと言うためにこそ、隆家は、わざわざ「見たことのない骨」という説明・・をしてみせたのだと。

 確かにそのとき隆家は、プレゼントする扇のすばらしさと、その説明の見事さを二つながらに証明することができて、大満足であったわけです。失敗を転じて成功に導く、人の心に寄り添う機知こそ、定子後宮こうきゅうの人々に愛された、清少納言の得意技でした。
 仲間たちから、「ひとことな落としそ」(『枕草子』には、ぜひひと言も漏らさず書いて)と言われています。




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