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すべてを分かってもらえなくても良いじゃない


 自分の事を知ってもらうという事はもちろん大事だと思うのですが、伝える相手・手段・場所に関してもう少し再考の余地があるのでは。最近そう思う事がどんどん増えました。


 カミングアウトの強要みたいな息苦しさを感じます。そこは別に本人の胸の内に留めておいても良い案件。そんなことまで周りが言わせるような雰囲気ありますね。


 やたらぶっちゃけるという行為をバラエティー番組でもてはやした辺りからでしょうか。一度発言した事はネット社会では永久に掘り起こされることもあるから。より慎重を期した方が良い事も・・・。その人のその後の人生にマイナスに働いてしまう事もありますし。


 それに言って損した人の方が、若干多いようにも見えます。自己開示して周囲の理解が思うように得られないケースも考えた上で行動した方が賢明です。私が学生の時急に学級会で「私の事を知って欲しい」と発言した子がいて、その子の真意がおそらくみんな掴めていなかった。


 今となってはもしかしたらこういう事かなと思う事はあっても、その当時周りもあまりピンとこなかった。その子もかなり勇気がいった事だと思います。残念ながら、その後本人が望むような事は起きなかった。一個人が他者を理解するには時間もかかるでしょう。


 多様な人や価値観があって、そういう概念がしっかりこの国に根付くにはまだ時間がかかる。人に伝える技術や難しさというものを改めて感じた瞬間でした。そして受け止める側も高度なスキルが必要という事も忘れないで欲しい。周囲がどう捉えるかは正直予測もつきにくい。思ったのと何か違うという可能性も十分にあり得る。


 啓蒙的な事も過度にやり過ぎなくても良いんじゃないでしょうか。本人がこの人にだけ伝えたいそう思える相手に出会えた時のみでも。それは結局ご本人さんがいつか決める事のような気もします。むしろあれこれ詮索されたくない人もこの世には一杯いますから。

 あらぬ疑いかけられて傷ついている人もいるという事も忘れないで欲しいですね。こんな時代ですから、皆さんなにかしら業を背負って生きているもの。


 追記 若い子達の方がこういう問題に上手く対応できているように思います。そこは素直に見習いたいです。

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