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時代が「良い子」を求め過ぎ。

 「良い子」って何でしょうか?それは、親や学校から見て手のかからない子の事でしょうか。そんな子そうそういませんよね。自分が小さい時思い出しても我が強かったり癖のある子だったと思います。色んな子がいたし、その事に疑問も持っていなかった。むしろキャラの立った子が適度に混じっている方がクラスとして面白いし。

 子供が社会を学ぶには、バランスよく色んな価値観の子と接していた方が良いかも。○○障害と簡単に子供の心の問題を定義づけるだけでなく、もう一捻り踏み込んだ政策も必要なんじゃないかなと感じます。外国からの概念をあてはめるとそうなるのかもしれないけれど。上手く意訳してもう少し当事者の気持ちが軽くなるような上手い名称ってないのかな。そんな風に考えてしまいます。


 いつもどこででも子供が「良い子」を演じ続けるのは無理。家庭ではワガママになったり、どこか気を抜ける場所が必要だと思います。周りの人から「良い子」と褒められるのも意外と本人たちからしたらプレッシャーに感じているかも。それに昔は親や学校の先生も子供の悪い点も冷静に指摘できていたけど、今って注意してはいけませんみたいな風潮が強すぎて何も言えない。全部を何でも肯定するのも違うのかなとも思います。


 何故そんなことを言うかと申しますと、私も友人ですごく感じの良い子がいたのですが、かなり意外な事で悩んでいることがあったからです。長年仲良くても全然思いつかないような事でショックを受けました。その後は自然と疎遠になってしまったのですが・・・。


 「もしかしたらずっと伝えたかったのかな」など後悔しました。手のかからない子は大人にとって都合がよいですけど、かなりの危うさも秘めていると思うんですね。時には今を生きる子供たちに「良い子」の仮面を外させてあげて欲しい。そしてそこはこれから先直した方が良いよという善意のアドバイスも必要ではないか。そう思います。

#子どもに教えられたこと

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