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推しもいいけど

「推しが生きがい」と語る若者たちを見て切ない気持ちになるのは私だけかな。バラエティー番組で推しにいくら使ったか、赤裸々な話をよく見かけます。番組の過剰演出ならもうそれはそれでいい。むしろそうであって欲しいとも思うのです。時に耳を疑うような額を使い果たしてしまった猛者も。


 親御さんはこの事ご存知かしらと心配するのもきっと私が年をとったせいです。昔からアイドルに熱中する人は、存在しました。コンサート遠征やアルバムを購入するなど、趣味として適度に楽しんでいた感じ。以前はヘビーなファン層とライトなファン層のバランス構成比が良かった


 現在は基本ヘビーなファンによって熱心に支えられているように思えます。少子化のせいもあるのでしょう。いくらなんでも一人当たりが使う購入金額が多すぎる。なんだろう自分たちが育てたここまで押し上げた。そんな達成感を味わいたいのだろうか。でもその気持ち分からなくもありません。誰もがハマる危険性はきっとあるから。これだけ推しという言葉が一気に浸透したのも、既に世の中に思い当たる人が沢山いたからでしょう。


 ただ商売の在り方としてやり方が適切なのかといったところでは疑問の余地もあります。しばらくしてファンのほとぼりがさめたら「なぜこんな金額を使い果たしてしまったのだろう」と途方に暮れる事もあるのでは。



 推しという言葉に変換されても、多少貢ぐという意味合いも否めません。使ったお金は、一円も帰ってこないし。以前なら惚れた弱みで済まされた話でしょう。しかしもうそんな事も言ってられません。推し活も一種の中毒化している人が見受けられます。次から次へとまた気になるコンテンツが現れて。また同じことをいちから繰り返す。終わりが無い底なし沼なんです。


 どこかに相談に行ける場があったらいいのだけど・・・。使った額の多さを競うと、際限がなくなる。いくら使ったかで忠誠を示す尺度にされると辛い。そりゃファンは出すでしょう。


 最近になってネットゲームの課金問題もようやく問題視され始めました。推し活問題も相当根深いものを感じます。推し活のほうがむしろ深刻ではないかとすら思う。


 享受する側の行動のみならず受け手側(コンテンツを作る側や演者)にもコンプライアンスを求めたい。売れるから需要があるから作りますの状態が続くと、この問題は一向に改善しません。夢中になれるものがあるのは良いけど、中毒や依存は危険


 推す側もふと我に返って、クーリングオフ出来るものならしてしまいたい。そうなるのも時間の問題かと。「月に使えるのはこれくらい」と自分を律することが出来る人ばかりではありません。とうとう推し活で身を崩したなんてことにならぬよう。もうそろそろ大人がちゃんと動き出さねば。


 家庭でもお子さんの推し活少し気にかけてあげて欲しい。もうそこまでストップと歯止めをかける事も時には必要。頭ごなしに叱るとかそういうのも違う。現代人の孤独感・寂しさとかも関係しているんだろうな。


 

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