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 エシカルというかクラシカル

 エシカルな消費という言葉が、なりを潜めている。一時期あんなにみんな言っていたのに・・・。私もエシカルな消費をずっと続けられているかというと、答えに窮します。そう人の事は言えやしません。


 例えば小さな規模の陶器市に参加した時、会場の雰囲気で不要なものを購入してしまった。そんな苦い経験が頭をよぎります。安いけど、本当に必要だったか。質感も好きじゃなかったのに、ついで買いしてしまったのです。


 案の定上手く使えず、買わなければよかったと後悔することしきり。それからというもの、良いアイテムみつけてもすぐにレジに行きません。「これは違うな」と気づいたらそっと棚に返します。


 せっかくなら大事に使い続けてくれる人の手に渡った方が食器も幸せ。それに使わないからといって、要らないものを人に譲るのも失礼。何のために買ったか分からないものは極力減らさなくては。自戒も込めて日々心掛けました。


 その結果無駄買いはいくらか減った。本当に好きなものならもっとお金をかけてもOK。どうやら自分なりの基準を作成したほうが失敗も少ない。インフレが進んだ今、予算を今までも買い物より高めに設定する必要がありそう。


 吟味して買う癖がついて、買うアイテムも減りました。愛着のあるアイテムを探す旅路は、とても長い。ようやくいいものを見つけられた時の感動はひとしお。自分に向く天職を見つけるのも、案外そういう事なのかもしれません。


 いきなりドンピシャの仕事には行きつかない。試行錯誤していく内に自分にハマる仕事に巡り合えたり。行きついたのは、結局買い物も生き方も古典的なやり方。至極シンプルなものでした。


 クラシカルなやり方で持続可能な発展を目指す。物を作る人・仕入れる人・売る人全てにお金がいきわたる買い物術。こういう仕事に就きたいと若い人に思ってもらえるのも大事。壁にぶつかった時には、基本に立ち返った方がしっくりくる。アナログ発想も侮りがたしですね。


 いいものを見抜く目を養えたら一番。それにはまだまだ時間も必要かな。これからも小さな失敗もしていかなくては。いずれ賢い選択が出来るようになるでしょう。


 私にぴったりくるいいもの探しも楽じゃない。でもみんなそうやっていろんなことを必死に模索しているのでしょう。

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