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”安心の核”は赤ちゃん時代に作られる

子ども時代の記憶を遡ってみてください。
一番古い記憶は、何歳の頃の記憶になりますか?

多くの場合、記憶が始まるのは3歳ごろだと言われています。
それは、「いつ」「どこで」「何をしたのか」という、記憶をつなげて思い出すエピソード記憶の力を身につけるのが、3歳ごろからだと言われるからです。

ところが、3歳以前からすでに心の土台づくりを始めているとしたら、その頃の記憶は脳にどのように刻まれるのでしょう。
そして、大人になった時の生き方に、どんな影響を与えるのでしょうか?

親にとっては、特に乳児期の1年間は無我夢中で、あっという間に過ぎていきます。
泣いて、寝て、おっぱいを飲んで、をひたすらくり返す赤ちゃんが、果たして人生を左右するほどの響力を持つ記憶を刻むなんていうことがあるのだろうか?と思うかもしれませんね。
そこで今回は、乳児期の記憶と心の作用について考えてみたいと思います。

他人と自分の区別があいまいな乳児期

赤ちゃん

乳児期とは、未分化の世界の中にいるといいます。
つまり、自分と他人の境目があいまいで、自分を取り巻く世界の全てが、自分の延長のような感覚になっているのです。

お腹が空いておっぱいを飲んでも、そのおっぱいも、ママも、全て自分のもので、目に入るもの全てが自分の思う通りに動いている、自分と一体化したものというような感覚でしょうか。
なので、外界の影響をダイレクトに受けるわけです。

自他が未分化な状態となれば、相手と自分の感情の境目もありません。
自分を抱く大人がイライラしていれば、同じようにイライラするし、緊張していれば、緊張が伝わって落ち着かなくなるのです。

ですから、生まれて最初に記憶しなければならないのは、これから自分が生きていく世界は「安心」できるところだ、という漠然とした「安心感」なのです。
それは、安心に包まれた親に抱かれることで刻まれるという意味でもありますし、その結果、自分はちゃんと守られているし、生まれてきたことを歓迎されていると感じられることが何よりも大切なのです。

では、どうすればそんな究極の安心感を記憶に刻めるのでしょうか?
それは、大人からのアプローチが鍵を握ります。
以下にまとめてみましょう。

◉すぐに応じてもらえる
何かを発したら、放って置かれるのではなく、すぐに反応を返してくれるかどうかということ。

◉気持ちを感じ合ってくれる
泣いていたら飛んで来て、悲しんでいる気持ちを感じ取ってなだめてくれる。
ご機嫌な時も、笑いながら応えてくれるということ。
ちなみに、いくら発信しても感じ合う人がいない場合、例えば悲しみが襲っても、感情を響かせ合う相手がいないと、やがて泣かなくなるのです。
それは、人と感じ合うことをあきらめるということになります。

◉丁寧に世話をしてもらえる
自分のことを「大切なもの」として扱ってくれる、つまり、自分を「価値ある存在」として見てくれていることが伝わるということ。

◉関心を寄せ続けてもらえる
関心を持ってもらえると、小さな変化にもいち早く気付いてもらえるし、それは、やがて自分を「価値ある存在だ」「人は自分の求めに応えてくれる存在だ」と認識することにつながっていくのです。

◉大切な存在だということを言葉や態度で示してもらえる
優しい声で話しかけられたり、笑顔で頬擦りしてくれたり、愛おしいという態度を示してくれることで、そのサインをしっかり受け取ることができるのです。

つまり人間は、自分一人で自尊心を育てることはできないのです。
他者から「大切だ」と思ってもらうことで、自分は価値があると思えるようになるのだということがわかりますね。

人生初期に必要な親の関わり

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安心の土台を記憶に刻み込むためには、人生の初期に、自分に夢中になってくれる大人と一心同体になることが何より重要です。

◉以心伝心で、自分の欲求を肌で感じ取ってくれる人がいること。
◉自分の求めに対して共感で応じてくれること。
◉心地よいスキンシップを頻繁に提供してくれること。
◉そして、何よりも掛け値なしの愛情を注いであげること。

では、もしもこれらの体験が得られなかったら、心にどんな記憶として刻まれるのでしょうか?
それは、のちの生き方にどんな影響を及ぼすのかをみていきましょう。

人生の初期に安心感を記憶できなかったら

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この世に生まれ、初めての人間関係の中で、安心感を記憶できなければ、それはM .バリントのいう「基底欠損」を抱えることになります。

基底欠損とは、かなり早い発達の段階で、親からの愛情や保護を受けられなかったことによる「心の構造の欠損」のことを指すのですが、それは基本的信頼を獲得し損ねているということでもあります。

基本的信頼を欠いているということは、つまり、生きていく上で必要な「強い自我」を手にしていないということ。
自我を持たないまま成長するとどうなるかというと、主体性を持つことが困難になるので、生活のありとあらゆることを、何から何まで誰かに決めてもらわないと自分では決められないという、過度に依存的な生き方になります。

問題と向き合って葛藤することもできないし、人と対等な関係を結ぶことも苦手。
また基底欠損では、依存する相手に執着してしがみつく以外に、緊張感とスリル(刺激)を求めて、危険な衝動的行為に駆り立てられることもあるといわれています。

それは、生きている実感をつかめないことから抜け出るための、苦しい選択でもあるのでしょう。

土台が不安定であれば、その上に立派な建物を建てても、常に脆さを抱えることになるのです。
それは、補強工事をしなければ、いくら年齢を重ねても、たとえ高齢になったとしても、自己不全感や自己否定感を払拭することはできないのです。

最初に戻ってやり直す記憶の再編

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つまづいているものは、その段階まで戻り、やり直す。
これしかありません。
なぜなら、基底部分である土台をしっかりと作り込まないままでは、心は成長できないからです。
ところが、このことに気付ける人はそういません。
実際のところ、このカラクリに気付けないまま、人と心を許し合う信頼関係を手に出来ないまま、人生を終えていく人が多いのだろうと思います。

生きづらさを抱えながら、理由がわからず、人生を終えるなんて悲しすぎます。
前進させる道があるなら、ぜひ挑戦してみるべきだと思います。

最初に戻ってやり直すとは、まずは人との関係の中で安心感を手に入れることに挑戦することです。
人間関係の中で、安心感というものがわからなければ、強い不安を感じるところには近づかないことです。
不安を感じる危険な場所というのは、自分を蔑みたくなるような場です。
「自分はダメだ」「価値がない」と感じる時は、カラクリを解くチャンスでもあるのですが、知識という武器を持たない状態では、堂々巡りで前進することはできないでしょう。

自分の欲求がわからなければ、なんだか楽しそうに生き生きとしている人の近くに身を置き、まずはその人の生き方を真似てみること。
そうやって、真似ることから「自我」を育てていく挑戦をしていくのです。

乳幼児期の心の発達は、予想以上に重要だということがおわかりいただけたかと思います。
まだ言葉を発しないんだし、記憶にも残らないから大丈夫だろうと思ってはいけません。
赤ちゃんは、喋れなくても感じることができるのです。

感覚を研ぎ澄ませ、肌感覚で「安全か」「安心できるのか」「歓迎されているのか」を感じ取り、人生をスタートさせるわけですから、その期待に応えることが親の最初の大事業になります。
そのことを、ぜひご夫婦で共有していただき、お子さんの心の中にどっしりとした「安心の核」を作っていただけたらと思います。

鶯千恭子(おうち きょうこ)


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