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情動恐怖症

情動恐怖症とは、感情をそのまま表現することを苦手とする人のことを指します。感情がないわけではありません。ただ、感情を表現することに、ある種の罪悪感や不安が襲ってくるため、無意識にブレーキをかけてしまうのです。

日々感情豊かに生きている人にとっては、想像がつかないことかもしれませんね。でも情動恐怖症という概念を知ると、人が生きていく上で大切なもの(感じ方・感情表現の方法・考えのすすめ方・価値観など)が、学習によって身につけることに驚かされます。


情動の誤ったレッスン

情動恐怖症とは、診断名ではありません。
心理療法研究者リー・マッカローらが名付けたものです。
情動恐怖症の人は、幼少期に感情を表現することをよしとはしない家庭に育ち、感情を豊かに表現することができずに成長した人のことを指すようです。
つまり、感情の取り扱い方や深め方は生まれつきの性格ではなく、環境によってつくられた生き方の癖ということになります。

では、どんな環境に育ったのでしょうか。
それは、心に優しく触れられる経験が著しく乏しい環境です。親が忙しくて、子どもの感情の動きや変化に注意が向かない、ということもあるでしょうし、感情をそのまま出すのは「弱い人間のやることだ」という、偏った価値観を植え付けられたということもあります。

決して暴力的な家庭環境ではありません。
ネグレクトということもないのです。
だから、側からみてもとてもわかりにくい。
むしろ、両親は社会的に立派だといわれる立場にいたり、地域の世話役を任されている、ということもあります。
なので、問題はますます見えてこないのです。

ただ、表面的な姿からは見えてきませんが、子どもの立場に立てば、明らかに居心地の悪さはわかります。ところが、当然子どもですから、いくら居心地が悪くても「それはなぜ?」と問うこともなければ、その原因に気づくことはありません。

やがて大人なっても、自分の特性(感情を押し殺し、人と深く関わることを避ける癖)はなぜ身についたか?とは考えず、生まれつきの性格だから仕方がないと解釈するため、このカラクリを解くことはないのです。

負の記憶

ただ、よく思い返してみると、いくつか思い当たることがあります。例えば幼い頃に素直な感情を表現した時に、無視されたり、冷たい対応をされた体験です。

悪いことをした時に、しつけの一貫で反応してくれなかった…というものではありません。ネガティブな感情ではなく、嬉しい感情や楽しい気持ちなど、前向きな好感情を表現した時にも、一緒になって喜んでもらえるかと思いきや、「はしたない」「みっともない」というメッセージを込めた、冷たい反応を返されることが頻繁に起こるのです。

普通子どもは、嬉しいことがあると、満面の笑みを浮かべ、嬉しくてたまらない気持ちを、足をばたつかせたり、飛び跳ねたりして大きく表現します。ところが、無邪気で子どもらしいと受け止められることはありません。ただ冷ややかに一瞥されるか、困った子だとため息をつかれるのです。

子どもは、やがて感情を表現することに不安を感じるようになります。そしていつしか、感情がこみ上げてきたらブレーキをかけるという癖が身につき、人と親密になることを避けるようになるのです。

連鎖する癖

ここまで読んでみて、どこか当てはまると感じる方は、子どもだった頃のことをもう少し振り返ってみてください。例えば、ご両親がどんな人だったかということです。以下の特徴に当てはまるところはありませんでしたか?

堅苦しく、頑固で、好き嫌いがはっきりしていて、自分の意にそぐわない人や出来事には、どんな事情があろうとも頑なに拒否する、といった几帳面さや、心の狭さはなかったでしょうか。(怒鳴ったり、拒絶するなど、あからさまな態度で示すわけではありません。ただ心の中で静かに、でも頑なに拒否しているのがわかるのです)

もしそうだとすると、子どもは親に対して、どこか近寄りがたいという心の壁を感じるはずです。時折、微かに微笑むような表情を見ると嬉しくなり、期待して顔色を伺い、優しさの欠片をかき集めようとするのですが、なかなか見つけらず、やっぱり近寄れない壁があることに気づくのです。

求めても与えられない…とわかると、次第に求めることをあきらめるようになります。そして感情が揺れないように、人と距離をとるという防衛機制を働かせるようになるのです。

心のふれあい不足

子どもが心を発達させるためには、初めての人間関係である親との間で、感情を深く響き合わせる体験はとても重要です。
感情共鳴の中で得られる安心感は、「大丈夫」「そのままでいいよ」と存在そのものを肯定してくれる体験と深いつながりを持つからです。そして、記憶に深く刻まれ、この記憶は生涯消えることはなく、子どもの人生そのものを守り続けてくれるのです。

幼少期にこそクリアさせたい「感情共鳴体験」。子どもからすれば、生きていくために絶対に手に入れなくてはならない体験です。経験し損ねたとか、うまく共鳴できず失敗したとか、ダメなら次に期待しよう、とはならないのです。

子どもは、どんなことがあっても親との関係を成功させなければなりません。だから子どもは親を批判することはしないのです。「ダメだった…」ということを認めるわけにはいかないのです。だから常に親の感情の動きに緊張し、大人になってからもその癖は抜けきれず、批判することには大きな罪悪感を感じてしまうのです。仮に、やっとの思いで親から離れたとしても、誰かと親密になることや、深い感情共有に対して苦痛が伴うことは消えません。そうやって長い人生に大きく影響を与えてしまうのです。

これは学習による連鎖です。恐らく親も、そのまた親も、同じような経験を積みながら育ってきた、という過去を持つことが多いです。人と精神的に親密になることは危険で、心を守るために壁を築き、感情を揺らさず静かに生きるという生き方を学んできたのかもしれません。

思いきっり泣く体験

では、情動恐怖症の人は一体何を手に入れ損ねたのでしょう?育つ中で大きく奪われたのものの一つは、思い切り泣く体験かもしれません。泣いて不安を訴えても、また悔しさを発散しようとしても、早々に『泣くな!』と止められるのです。
感情をしっかり出して、思う存分泣いて、すっきりした気分になり、気持ちを立て直す、という一連の体験がほとんどできずに成長してしまうのです。

その結果、顔をクシャクシャにして笑ったり、泣いたりすることはないし、感情が小さく揺れるだけでも恐怖を感じてしまうわけですから、次第に表情は乏しくなります。

感情を揺らしてはいけない、人の感情に深く触れることは居心地が悪いので避けなければいけない、という心の縛りに慣れてしまうと、実はもう一つ、奪われてしまうことがあります。それは『深く考える』ことです。

思考力への影響

自分の感情をじっくりと省みることがなければ、思考を深めることもしなくなります。感情が揺れないことが保障される時であれば、知的な会話ができるかもしれませんが、深い話になると途端に無視したり、筋の通らない対応をするので、家族や子どもであれば戸惑うことになるでしよう。

このような家庭は、社会的には「立派なご家庭」と評されることも多く、家族機能の視点を持たなければ見えてこない内面の姿です。
生きづらさを抱える人が増える時代だからこそ、幼少期の心育ての大切さにもっと関心を持つ人が増えてくれたらと思います。少なくとも、本人の性格の問題だけで片付けない。生きづらさの背景には必ず理由がある。そのカラクリに気づければ、変わることが出来ると思うからです。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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