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情動の手綱を持つ【感情取説】

感情と似た言葉に「情動」がある。
どう違うのかを知っている人は、意外と少ない。

ところが、私たちが生きていく上で取り扱いに苦慮しているのは「情動」。
そう、感情コントロールの難しさは、実は情動の取り扱いのことを指すのだ。
感情取説の基本も、情動の取り扱いにある。
なので、今回は「感情」と「情動」の違いを整理しておきたいと思う。

情動の正体

情動とは、一瞬で沸き起こる、感情エネルギーの塊のようなもの。
理性は一切働かず、言葉に置き換えられることもなく、全身を大きく揺さぶるほどの威力を持って襲いかかってくるものだ。

例えば、帰宅が遅くなった人影のない夜道で、足早に家路を急いでいる時、背後から人が近づいて来る気配を感じたとしよう。
女性なら100%、不安と恐怖が全身を包むことだろう。
この時「あれ?なんだろう・・・ちょっと怖いな」と考える余裕はない。
瞬間的に、全神経が背後にある人の気配に集中するのだ。
これが情動の仕業だ。

もたつかせないのが、情動の特徴でもあり、役割でもある。
「えっと・・・」などと、考えている間を作らせない。
なぜなら、逃げるのか闘うのかを瞬時に判断し、行動できるように大急ぎで体制を整える必要があるからだ。

身体中の血液を脳・脊髄、筋肉に送り届けるために心拍数を急上昇させ、全身を張り巡らしている神経を研ぎ澄ませ、次の行動(逃げるか・闘うか)を決めるための情報を決して逃さないのだ。

情動は、生き延びのためには欠かせないものなので、生まれた時にすでに持ち合わせている。
その種類はたったの6つ。
喜び・驚き・恐怖・怒り・悲しみ・嫌悪。

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並べてみてわかる通り、快・不快で振り分けると、「喜び」以外は不快に振り分けられるのだ。
それだけ、危険に囲まれた過酷な環境の中で、生き延びなければならなかったことが伺える。
だから、不快な感情に襲われやすいというのは、ある意味仕方のないこと。

ここでちょっと、子どもを育てたことがある人は思い出してみて欲しい。
わが子が生まれた時のことだ。
出産後、わが子は恐らく全身を真っ赤に震わせて大泣きしただろう。
(まさに”赤ちゃん”と呼ばれる所以だ)

この時、情動に注目するとわかりやすい。
子どもは、誕生の瞬間から、情動の塊を周囲にばら撒いて生まれてくる。
つまり「寒いよ!」「眩しい!」と叫んでいるようなもの。
それもそのはず、37度の一定のお湯の中に長いこと過ごしてきたのにもかかわらず、ふやけた身体を突然乾燥した環境にさらすのだ。
急速に乾燥を始める身体は、急速に体温が奪われ、強い寒さが襲う。

眩しさも同様、40週の間ずっと暗闇で過ごしてきたのに、一瞬で明るい世界に連れ出されるのだ。
赤ちゃんにとっても、誕生は恐怖のなにものでもない。
情動をフルに発動させる初めての体験となるのだ。
人間には深く情動がプログラムされていることがわかるだろう。

それに比べて「感情」は、このような情動体験を振り返り、頭で考える冷静さを少し取り戻している。
出来事を反芻する中で、ジュワジュワと湧き起こるもので、情動と比べてトーンがいくばかりか下がっている。

「考える」「思い出す」「想像する」「共感する」といった作業を伴う中で、度々微妙な感情の揺れが起こり、「悲しみ」が「物悲しさ」や「切なさ」といった複雑なグラデーションを生み出すのだ。
感情の奥行きを持つ人は、知性とのコラボレーションなくしては生まれてこない、繊細さを持つ人なのである。(これが、私の考える繊細な人は知的だという所以)

つまり、感情コントロールとは、実は情動コントロールのことを意味する。
瞬間湯沸かし器のように、一瞬でヒートアップする情動の動きに気づいて、素早く、一旦鎮める行動をとることが重要。

そうでないと、我流で、襲いかかる不快な情動を取り押さえようとしてしまう。
そして、その多くが、誤った方法だということに気づかず、パターン化させてしまうのだ。

例えば、不安を抱えていられないので、周囲に「不安だ!」「不安だ!」と巻き散らかすというパターンもある。
しかも、素直に「不安だ」といってくれれば助けようもあるが、難癖をつけて攻撃してくる場合もあるので厄介だ。

また、シラーっと知らんぷりをすることで、不安を手当てしようとすることもある。つまり、感情をシャットアウトすることで、身を守っているのだ。
この場合は、周囲に「なんて冷たい人なんだ」と思わせてしまうので、相手に根深い不信感を抱かせることになり、積み重ねてしまうと、代償は意外と大きくなる。
(これについては回避性の知識を参照して欲しい)

要は、情動に手綱をつける。
そして、決してその手綱を手放さないことだ。

うっかり暴走させてしまったことに気づいたら、すぐさま素直に「ごめん」と言えばいい。
自分が招いた失態を、間違えても人のせいにして、攻撃しながら逃げるようなことをしてはいけない。
大丈夫、真剣に自分と向き合う姿は、いつも人を感動させるものだから、必ず理解者が増え、自分が望む、あたたかく、信頼に満ちた関係が作られていくに違いない。
そのことをぜひ信じて、逃げずに、情動の手綱をつかんで欲しい。

鶯千恭子(おうち きょうこ)


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