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丁寧な「即興」のために〜心の即興ピアニスト〜

昨年の秋頃から、私は「心の即興ピアニスト」を名乗ることにした。

理由は2つある。

1.「心の即興ピアニスト」を名乗ることにした理由2つ

1つ目は「ジャズ即興ではない」と明示したかったから。
私はあくまでも、作曲も一環として「即興」をしているのだけれど、そこを誤解されることが過去に何度かあった。

世の価値観として「即興=ジャズ」というイメージはあるのかもしれない。そこで争いたい訳じゃない(笑)ので、「心の即興ピアニスト」と名乗ることにした。ジャズのことも少しずつ勉強中。

2つ目。こちらがメイン。
「即興は雑でいい加減なもの」とのイメージを払拭したいから。

だからといって「丁寧な即興ピアニスト」って何じゃそりゃなので、
「心」にフォーカスした。

「作曲は緻密で魂こもってるけど、即興はいい加減」という趣旨の意見をチラ見することはよくある。
あとは、練習不足のカバー演奏のことを「即興」と呼んでいたり。
正直その手の意見に触れると心が痛む。

即興は「いま必要な音楽を、その場で生み出しながら奏でること」であり、決して雑な音楽だったり、ミスタッチを堂々と許容するものでは無いと思う。

最近、そう強く思えた経験がある。

それは、
リトミックの即興演奏を学び、講師資格の受験をしたことだ(無事合格)。
ここでの学びと挑戦は、即興演奏をメインに創作活動を続けていくうえで、大きな自信となった。

2.リトミック講師試験の「ピアノの即興演奏」で学んだこと

45歳で退職した後、カワイ音楽教室主催の「カワイグレードテスト」を受験した。元々17歳の時に、ピアノ講師グレード6級の実技(クラシック演奏)だけ合格していて、筆記(和声学など)を受験したかった。

約30年ぶりにカワイグレードの受験要領を確認。
そこで気付いた「音楽教育」グレード。弾き歌いなどの「音楽活動」と、即興演奏や即興ダンスの「リトミック」で構成された講師資格。

ちょうど娘が2歳の頃だった。弾き歌いなど日常的に娘にしていること(即興ダンスを除く)もあった。

特に即興演奏は「即興なんてウソだ」と何度も言われてきたので、「リアルな場で自分を試し、自信を持ちたい」と思い、音楽教育グレードも同時受験。

6級はピアノ・音楽教育とも、一昨年に一発合格(講師補)。
5級はまず音楽教育に挑戦。リトミックの即興ダンスに苦戦したが、昨年末、講師資格に合格。(さらなる上の資格は保留中)

その「リトミック」の受験科目の中に、リトミックを通じた子どもの音楽教育に関する小論文があった。

そのためにリトミックの創始者であるエミール・ジャック=ダルクローズ(1865~1950、以下「ダルクローズ」)の文献を可能な限り読み漁った。

「リトミック」の創始者であるダルクローズの文献など(左端は別著者による解説本)

「リトミック」は、リズム運動、ソルフェージュ、ピアノの即興演奏の3部門が関連付けられ実践される。音楽や動きを通して、全人格を発達されることに力点が置かれている教育法である。

今回noteのテーマである即興に関連するのがまさに「ピアノの即興演奏」になるわけだが、文献を調べていく中で大きく二つに分かれることを認識した。

一つは、音楽を学ぶ子ども自身が行う「ピアノの即興演奏」とそのために必要な学びがあること。

そしてもう一つは、
子どもが「リズム運動」を行う際に、講師がその場で奏でる「ピアノの即興演奏」である。

ここが、リトミックの講師試験の場で試されたのだ。

講師試験で出題された即興演奏はパターンが色々あったが、
今回のnoteのテーマに合うのは「イメージ即興」だと思う。

当日その場でお題(例「おいしい朝ごはん」)を出され、そのお題に合う曲を1分程度で即興で奏でるというもの。
子どもが「おいしい朝ごはん」をイメージしてワクワク出来るような曲を、迷いなく瞬時に思い浮かべ、すぐに弾く。1分の尺感覚も持ちながら。
自分ひとりで部屋に籠っての即興演奏とはメンタル面が全然違った。緊張したけど、非常によい経験になったし、自信になった。有難い経験だ。

ここで、ダルクローズに関する文献の中で、ピアノの即興演奏について印象的だった一節を紹介する。

メッセージや合図、自発的なアイディアは、概して突然に起きます。
あなたは、ハプニングが起きる可能性に備えることはできますが、発生したその瞬間にしか必要ありません。

楽譜に書かれた音楽では、このようにはいきません。
あなたは、音楽に関するもので一杯になったスーツケースを持ち歩き、適切な音楽の例を見つけるために、その中をひっかきまわすことになるでしょう。
(一部略)その間、あなたは、クラスの子供たちを統制できなくなるでしょう。これは無意味なことです。

リトミック教育のための原理と指針「ダルクローズのリトミック」
エリザベス・バンドゥレスバー:著
石丸由理:訳

子どもたちの様子を見て、講師の心が動き、それが瞬時に音となって現れる。場をリードする。それがリトミックで要求されるピアノの即興演奏なのだと知った。

講師の即興演奏は、子どもの柔軟な発想力から生まれる様々な動きを、
その場でリアルタイムにサポートしたり、さらに広げる役割がある。

つまり、リトミックの即興演奏は、決して雑だったり、ミスタッチがあっても構わない、なんていういい加減なものではない。子どもたちが困惑する。

先ほど書いた
『即興は「いま必要な音楽を、その場で生み出しながら奏でること」であり、決して雑な音楽だったり、ミスタッチを堂々と許容するものでは無いと思う。』
は、まさにこの即興演奏の試験と事前準備を通じて実感したことなのである。

私自身、創作活動の大半は、暮らしの中での「ピアノの即興演奏」である。
その場で感じた事をすぐに弾くガチ即興だし、ミスタッチは殆ど無い。

即興を始めた頃から、「即興=その場での完成品」という意識で訓練を積み重ねて来たし、リトミック試験でさらに鍛えられた。

Audiostockで楽曲販売もしている。サブスクでの配信もしている。

決して即興での作品がいい加減なものとは思っていない。

ありがたいことに、実際、即興での作品は多く選ばれている。

Audiostockの開始当初しばらくの間、コンピレーションアルバムに選ばれるのはピアノ即興ばかりだった。時間を掛けて練り上げたつもりの作曲作品がなかなか選ばれない。お客様からの購入も少ない。

なぜか。

自覚として、作曲作品は硬いなと思う面があった。狙いすぎとも感じたり。即興の方が素直なメロディが生まれ、音が流れていく。

そこで、作曲の時も、極力即興のときのように、心に浮かんだものを素直に描くように切り替えた。すると徐々に、作曲作品もコンピレーションアルバムにも選ばれるようになり、購入いただけるようにもなった。 
 
音との向き合い方を、私は「即興」から学んだ。

「即興」は表現方法の一つとして、目の前のテーマと、心の動きに忠実にメロディを紡いでいくというだけのこと。雑でいいわけじゃない。

これからも大切にしたい、「心の即興ピアニスト」としての、私の創作スタイルである。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!