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#1あなたの居場所はありますか。


あなたは、あなた自身が心地よく心豊かにいられる、人やモノ、場所を選んでいますか?


もし、選べていないのなら、一緒に作りませんか?


『ouca』は誰かの不便を価値に変えるアパレル&コミュニティブランドです。これは「ouca」の成長物語。

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写真:肌に優しいシルク&オーガニックコットンのインナー


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『ouca』代表のタムラユキです。

「誰もが自分に優しくなれて、自分らしく生きられる居場所」を作りたい。

私がこのように思うのは、私自身が「ありのままの自分」を受け入れることができず、長年人生を心から楽しむことができなかったからです。


でも、今は
「私は私で良いんだ」
と思えるようになりました。


なぜなら、私に必要だったものを見つけたからです。
必要なもの、それは「居場所」でした。



【過去】


人は環境の影響を大きく受けると言われますよね?
あなたはどんな環境の中にいますか?


私のこれまでの人生や環境を思い返してみると、私の家族の口癖は
「人は信じるな、裏切られる」というものでした。


私は「そんなことない」と反面教師で見ていましたが、両親の喧嘩、父の浮気や、両親の別居、厳格な祖母との生活、祖父の死、叔父の金銭トラブルなど、家族内での喧嘩・揉め事を度々目にしてきました。もちろん楽しかった思い出もたくさんありますが、「大人は自分たちのことに必死」そんな印象でした。


気づくと私は、「人間とはなんて自分勝手で、信用できない。一人で生きていかないと!」と、物事を「0か100」でしか見られない人間になっていたのです。


人間は機械ではないし、曖昧さが付きまとうのにも関わらず、「0か100」という考え方によって他人はもちろん、自分自身も認めることができませんでした。


幼少期から一人の世界、、、「ものづくり」に没頭していた私は、服飾専門学校を卒業後、縫製士としてアパレル業界に入りました。縫製士を6年勤め、パタンナーに転職した年に、盲ろうの祖母サカエおばあちゃんから

「目も見えない耳も聞こえない役立たずなおばあちゃん、だからスクラップにしてくれん?」

となんとも衝撃的な一言を耳にしたのです。

私はあまりのショックで怒りと悲しみに震えたことを今でも思い出します。祖母の苦しみに気づかなかったこと、そう言わせてしまうぐらいに我々家族はコミュニケーションを取っていなかったこと、うっすら感じていた孤独感を見ないようにしていたこと、を深く恥じました。


「おばあちゃんがいるから母が生まれ私まで命が繋がった」
「日常にはたくさんの感謝に溢れていると祖母の存在によって気づかされた」
「自分が生きていることに誇りを持ってほしい」


そんな想いを胸に、当時の私の武器であった「服作り」で何かできないか、そう私は考えるようになったのです。


そして考え抜いたのち

祖母に
「自分は大切な存在だ」
「自分は生きていていいんだ!」
「いい人生だったと思って人生を終えて欲しい!」
という超個人的な想いから祖母の名前をもらって「sakae」というアパレルブランドをスタートすることにしました。

「不自由さ不便さがあっても生きていることそのものに価値がある」むしろ「不便さがあるから新しい価値が生まれる」をコンセプトに、難病の女性と下着を作ったり、点字を言葉ではなくデザインとして捉えた点字ネイルチップをプロデュースを始めました。

2話 ぶち壊したい壁


『sakae』時代の具体的な活動はこちら








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