「合理的配慮」とは、配慮といえば何でも許される?

こんにちは、おひさしぶりです。
おうりぃです。
最近は地元での転職活動の為に奮闘しており執筆がおろそかになっておりました。
さて、今回のテーマは「合理的配慮」です。
そもそも「合理的配慮」とはなにか。
配慮とどう違うのか、合理的配慮といえばなんでも許されるのか?
そういう疑問をおうりぃなりにまとめてみようと思いました。

「合理的配慮」とは

「合理的配慮」とは簡単にまとめると
「障害がある人の人権が健常者同様に守られ、配慮を行うことで健常者と同じように働くようになるために必要な配慮」のことです。
例えば車いすの方は階段が使えないのでエレベーターを設置したり多目的トイレを設置するのも合理的配慮のひとつです。
もちろん企業によっては実現できないこともあると思います。
ただ、そういう合理的配慮が社会全体で求められているのは事実となっております。

配慮と合理的配慮の違い

大きな定義はありませんが、配慮は「個人の優しさでおこなう行為」で合理的配慮は「障害者差別解消法で定められた行為、または障害の有無に左右されず改善することでメリットのある行為」というのがおうりぃの認識です。
例として電車をイメージしてみてください。
体調の悪そうな人に席を譲る=配慮
優先席を事前に設置している=合理的配慮
上記の認識だと考えています。

「合理的配慮」とわがままの違い

さて、だがしかし「合理的配慮」を求めるということは私達障害者からすると働くため必要な補助なのですが、健常の人から見ると「特別優遇」に見えるのも事実です。
「同じ給与、評価方法なのにあっちは配慮してもらえてずるい。」
特例子会社でもある私のいる会社でもそういう声は挙がるそうです。
たしかに度を越した配慮を求めるのはわがままでしょう。
けれど「その配慮を受けないと働けない人」に対してそういう風に僻むのはまた違うと思うのです。
視覚障害の人に「あなたは白杖を所有していてずるい」といいますか?
歩行困難な人に「車いす邪魔だから降りろ」と言えますか?
それはもう差別ですよね。
白杖を使うのも車いすを使うのもわがままではなく「それがないと生活ができないから」ということです。

障害のある人も過剰に「合理的配慮」を求めるべきではない

とある人がいました。
「私はASDなので、意識せず人を傷つけることを言うかもしれませんが許してください。」
私はこれを聞いたときに「それは違くないか?」と思いました。
意図せず言ってしまうのは仕方ないです。
ただ、その方は日頃から反省もせず人をけなす言葉を吐きます。
それを認めてしまうならハラスメント等の免罪符になるのではないか、と私は危惧しております。

合理的配慮を求める以上配慮を受ける側はできるだけ迷惑をかけないように自身で改善や訓練をすることは当然です。
努力をし続けてもどうもならないから「合理的配慮」を受けるのです。
もしその人が本当に自身の特性について理解をしているのであれば
「あの時はすみませんでした。」という真摯な姿勢はどこかしらにあるはずなんです。
自身がミスをしても一言も謝罪を言わない、そのような態度の人が「合理的配慮」を求める。
それはさすがに周囲から不満も出ますよね。
なので「合理的配慮」を求める側は甘えるのではなく、
できないとこがあるのであれば、他のところで周りの人にお返しができるようカバーすることが求められます。

さいごに「合理的配慮」を求める前にすること

これは「自己分析」です。
自身の特性を十分に理解し見つめる必要があります。
その人がわからないことを周りもフォローはできません。
なので「自分はなにができない」のか
「なにならできるのか」ということはきちんと理解する必要があります。
そうすることで本来求めるべき「合理的配慮」も見えてきます。


以上
おうりぃでした。

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