おうりぃが生まれたきっかけ

こんばんは、おうりぃです。
本当は今日はもう記事を書くつもりはなかったのですが
とある方のTLを眺めてて、既視感を覚えたのでおうりぃの過去話でもしようかと思い筆をとりました。
長くなるし重い内容なのですがよければ目を通してもらえると。
そして今も精神疾患で苦しんでいる人に届きますように……。

「死にたい」……心の人格を殺す日々

私は元々変わった子供でした。
落ち着きがなく、言葉も理解するのに時間がかかる。
空気も読めない、常識がない。
今思えばASDの特性なのですが、人とつるむのが嫌な孤立タイプな上に人の気持ちもわからないので同級生からいじめられはぶられていました。
そんな私が就職しても上手くいくわけがなく
就職先もブラックではあったのですが、そりゃもう同期からはぶられ
お局さんからいびられ、上司からも煙たがられるような日々でした。
「自分は出来損ないだから」
「自分がいなければみんな幸せなのに」
「なんで自分が生きているのに生きたい人が死ぬんだろ……。」
そんな思考に苛まれ、身動きもとれないくらい沈んでいた時期がありました。

毎日スマホで調べるのは自殺の方法
検索ワードはそれで埋め尽くされ、それを見るとさらに落ち込むという悪循環。
嫌なメビウスの輪ですね。
当時精神科は今ほどメジャーでもなかった上に
精神科に行くのは抵抗もあるし家族に打ち明けても理解が得られず批判されたのでそのうちに動けないところまでメンタルがボロボロになってしまいました。
 それから数週間、自分の中で悲鳴が聞こえる幻聴が聞こえるようになったんです。
目を閉じると心の中で幼い自分を無残に切り裂く自分の姿。
「お前がいなければ……。」
そう呟きながら何度も刃物を振りかざしているような感覚です。
にわかに信じがたいかと思いますが、当時本当にそういうイメージが頭の中に浮かんでいたんです。
無断欠勤も相まって会社に行けなくなり、人の声も怖くなりました。
インターホンや電話は鳴るだけで地獄です。
恐怖でしかありません。

その後については色々あり、当時会社をなんとか辞めることはできました。

人格解離と操転

仕事を辞める前に消費者金融でお金を借り、田舎に戻った私は拒食もあったのでそのお金でなんとか生きていました。
生活の知恵などない私は当時の家がロフト付きのアパートということもあり
首吊りをよく考えるようになりました。
少しずつ回復傾向にあったのか、当時の記憶は今後遺症なのかとても不鮮明なのですけれど
無意識にホームセンターに向かい、ロープ売り場を徘徊する生活が続きました。
死にたい自分と、人に迷惑がかかると考える自分
本能と、理性その二つがグラグラ揺らいで結果臆病な本能が理性に抑えこまれ踏みとどまっていました。
今思うと当時は鬱の症状が酷かったので踏みとどまったのかもしれません。

そしてある時転機が訪れました。
いわゆる操転です。
今まで何だったんだろうと思うくらい急にすべてをリセットしました。
そしてまるで自分が生まれ変わったかのくらい気分がよく就活を始めたんです。
「自分は無敵だ」
根拠のない自信に満ち溢れました。

 そして受かったのが割と緩い事務職でした。
暇な時間も多くて、自分の日中の過眠さや落ち着きのなさ
人格を殺すような感覚……得体のしれない正体が知りたくて症状をネットで検索していました。
そして出てきたのが「ADHD」
おお、当てはまる……!
メンタルクリニックならハードル低そうだし行ってみるか~。
というノリで受診を決意。

それとは別に自分が仕事している姿を第三者視点でみている感覚や、自分が自分でないような感覚があってそれも相談したかったので決意した感じです。

メンクリ受診で出た診断名

メンタルクリニック受診して先生に今までの範囲で覚えてることを伝えました。
(前項に記した内容です。)
そこで言われたのが
「もしかしたら発達障害の疑いがあるので一度知能検査受けますか?」
知能検査……なんぞや?
そう思いつつもとりあえず受けてみようと次回予約時に受けることになりました。
WAIS-3というやつです。

その後も何度か受診し、診察名は「ADHDとASDの混合型」
他にもHSPの傾向あるね~とか言われました。
先生曰く「街中で石ころ投げたら高確率で発達特性持ちに当たるからそんな大事ではない。
大事なのは生きていく上で行き辛さを感じるか否か。」
ということなので私もすんなり受け入れました。
と、同時に季節が冬に差し掛かった頃にその診断がついたのですが
ちょうど鬱転時期に入っておりまして、仕事も休みがちでした。
その様子を見た先生が「躁鬱も二次障害で抱えてますね。」
と一言。
躁鬱?なんぞや?
私にとっては聞きなれない言葉だったのですが、
調べてみたら納得しました。

様々な人に支えられた「おうりぃ」という存在

転職やら、就労移行支援やら色々試行錯誤しながら道端の雑草のように生きた数年がありました。
まだまだ体調が不安定だし自分のエネルギーコントロールは苦手です。
人の言葉の意図もわかりません。
それでも諦めず支えてくれた支援者との出会いが私を変えてくれました。
最初は人間不信も相まって散々ひどいことを言ったと思います。
担当が移動で変わらざるを得ないという理由があったときでさえ引き継いでくれた担当の人に冷たい態度もとりました。
それでも見捨てず、話を聞いて信じてくれた人がいたから
おうりぃは今上を向いていることができます。

「支援をされる側」から「支援をする側」へ
今の目標はこれですね。

さいごに

長々と書きました。
読むのも一苦労だったかと思います。
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。

さいごに……これだけは書きたいです。

私はいじめられたり、人間不信になるレベルで人が嫌いです。
正直怖いです。
でも本当は人が好きです。
ただ、受け入れてほしいだけなんです。

そう思っているハンディキャップを抱えた人は沢山世の中にいます。
あなた一人だけではないです。
なのでどうか忘れないでください。
恐れてもいい、噛みついてもいい。
ただどうか諦めないで。
抗うことは疲れてしまいます。
時には流れや環境に身を任せてみてください。
溶けない雪はありません。
冬の後には必ず春になります。

そしたら一緒にサクラを楽しみましょう。


以上、おうりぃでした。



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