![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142559729/rectangle_large_type_2_1abb74a3aea9c9fb916c436d631f3c48.png?width=800)
僕に名前をくれよ。
僕はファンじゃない。
CDも買わなければ、ライブにも行かない。
好きなアーティストはたくさんいるけど、SpotifyとかYoutubeとかを何度も何度も聴き返すくらい。
自分の『お気に入りプレイリスト』を管理していると時間を忘れる。
で、その楽曲群を、部屋の片付けのBGMにしたりすることもある。
だからそれじゃファンとは呼べない気がする。
ファンとはもっと、作品を大切にする人がふさわしい。そう思った。
楽曲を聴くときは、高品質ヘッドフォン以外ありえないし、アルバムの順番を勝手にいじったり、とばしたりもしない。
そんな人。
僕は気持ちいいフレーズとか、ファルセットとか、シャウトとかをひとりカラオケなんかで練習していたことがある。
週4フリータイムで練習していたこともある。
大人数でいくカラオケでは「歌上手!」とかより「これ、いい曲だね!」と言ってもらえた方が嬉しい。
新譜が出るたびにリスナーとタイアップ曲が増えて、すこしさみしくなったことも一度や二度ではない。
でもじゃあそれはファンなのか、と言われても違うと思う。
きっとファンというのは、もっと全神経を注げるような人のことだ。
CDも予約するし、特典も選ぶし、ライブにもフェスにも行くし、グッズも買うし、そういう最新の情報をSNSで追うだろうし、ラジオも聴くし、きっとファンクラブ的なものにも加入している。
そのアーティストの出身地や、高校や、大学や、他のアーティストとの横の繋がりや、どの国のどの時代の音楽から影響を受けているかといった縦の歴史なんかも深堀りしているに違いない。
何枚も買ったTシャツのうち、着る用のものを毎日コーディネートのなかに組み込んでいるし、本人の似顔絵を描いたりもするし、信頼できる筋から得た情報をもとに、まったく同じ夕食を作って食べていたりするのかもしれない。
人気が出れば、きっとなんの憂いもなしに喜べる人。
僕のこの疎外感は、なにもアーティストだけに限ったものじゃない。
例えば映画や漫画なんかにでも。
これらに対しても、ファンという言葉を使うときは、並々ならぬ覚悟が必要だった。
まず公開日、発売日は休みを取るのは当たり前。
同監督、同作者、同スタッフ、同キャストの作品をすべて抑えてあるのは最低限。
全セリフを、そらんじることができることはもちろん。
聖地の記念写真で、スマホがはち切れそうになっていて。
単行本と額に入ったサイン色紙と、ブルーレイボックスでいっぱいの部屋には、物理的な余白はない。
きっと僕は自分がそのようになってようやく、「自分は〇〇のファンです!」と胸をはって言えるようになるのだろう。
でも「この作品を深く知りたい!」と興奮するようなことになっても、なぜかうまく動き出すことができなかった。
「何回も鑑賞するぞ!」と決心しても、僕の意識がそれを許してくれない。
意気込めば意気込むほど、ギアがパーキングのままの車みたいになってしまう。
いくら力強くアクセルを踏み込んでも進まない。
そのうちに窓の外では日が落ち、夜がやって来るだろう。
僕の興奮にも影がさす。
もどかしかった。
僕もファンになりたかった。
ファン同士のやりとりというものは、きっと現在、僕が背伸びして展開しているような浅はかなものとは比べものにならない深みを帯びているに違いなかった。
気まぐれに動画のコメント欄なんかを読むと「もうそれほぼお前の作品やんけ」と舌を巻く解釈と遭遇したりする。
作者より作者していたりする。
浅はかな自分の姿を鼻先に突きつけられているようで、コメント欄をみることができなくなった。
でも好きな気持ちに偽りはないのだ。
noteで偶然、同じ趣向を持つ書き手と出くわしたりすることがある。
そんなとき、どうにかして彼ないし彼女と熱量が釣り合うように、好きなアルバムの中でも、通っぽい選曲をしてみたりする。
浅はかに浅はかを上塗り。
でも本当は全部好きなのだ。
リード曲も、人気曲も、新譜も、ランキング上位の曲も。全部、全部。
だから名前がほしい、と思った。
ファンじゃない名前。
ニワカ、という単語が浮かんだけど、バカにされているようでなんかイヤだから。
その二つのあいだには、あまりに深い溝があった。
「あ、この曲知ってるー!」と「一周まわって、やっぱこの曲だよねえ」のあいだ。
日本海溝のごとき、その溝。
そのあいだを埋める名前があれば、この疎外感は薄まるはず。
しかし半日ほど頭をひねってみたが、いいアイデアは浮かばなかった。
それを考えるのすら、なんだか億劫になった。
ただ心の赴くまま、自分なりに、作品を愛でていたかった。
分析もできないし、言語化もできないし、調べたくもないし、深めたくもないし、極めたくもなかった。
活動的じゃないし、網羅的じゃないし、知識的じゃないし、情熱的じゃないし、体系的じゃないし、反復的じゃない。
ファンじゃないし、ニワカでもない。
そんな僕に、名前をくれよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?