「民間救護隊員シックス」本編

俺は土砂降りの中で、佇んでいる。

「ママ!」

突然悲痛な叫びが聞こえて、救護車に乗り込もうとした俺は事故現場を振り返る。そこには子どもがいた。

子どもは崩れた瓦礫の方に駆け寄り、そこで膝を折って泣いていた。


「シックス! シーックス!」
セブンのだみ声でハッと我に返ると、そこはいつも仕事帰りに訪れるダイニングバーだった。

「お前、また今日の任務のこと考えてただろ。ああん?」
セブンは、スキンヘッドと太ったそばかすだらけの顔を脂汗でテカらせながら、俺をなじるような声を出した。

「俺がそんなやわな男に見えるか?」
俺はジョッキに残ったぬるいビールを飲み干して言う。

「お前がタフなのはガタイだけってのは知っとるっつーの。何年一緒に働いてると思ってやがる」
セブンは皿に盛られたポテトをほとんど鷲掴みにして口の中に放り込んだ。

「そういえばシックス、ひっ、お前また今日、ひっく、またボスに呼び出されてたらろ」
セブンの呂律の怪しいダミ声で、思い出したくもないことを連想させられる。

「あの石頭に俺が何を言われようがお前には関係ない。それにあいつの説教、とくればたいてい想像できるだろ? 規則だよ規則。あいつは会社をでかくすることしか頭にないのさ」

「けどよお。シックス。俺はボスの言うことには、やっぱり一理あると思うぜ。『私たちはヒーローじゃない』ってな。俺たちが助けられるのは金を払ってる奴らだけだ。わかってんだろ?」

俺は舌打ちした。セブンの悪い癖だ。酒が入ると説教臭くなる。


結局、俺たちは店が閉まる夜明けごろまでそのカウンターに居座って、酒をあおっていた。

「シックスさんよお。お前、今日で20連勤最終日だろ」
別れ際にセブンに呼び止められる。

「おふくろさん心配してんじゃねえか? 女で一人、25年間大切に育てた一人息子が、連絡もよこさねえ。過労死しちゃいないか、ってな。なんか買っていってやれよ」

俺はなにか言葉を返そうとしたが、それもそうかと思い直した。
セブンに別れを告げて、家路を千鳥足と歩いていると、おふくろの顔が浮かんだ。

小ジワが増えてきちゃいるが、まだまだ若くて美人に見られる。この前は若い男に声をかけられたとか言ってたっけな。まあありゃ冗談か。

うちの近所に朝早くやってるパン屋があった。そこでおふくろの好物の、プレッツェルとクロワッサンを買って帰宅する。

「ただいま。帰ったぜ」
俺は半ば倒れ込むように、モノクロ調の玄関に入った。

「ありゃ?」

おかしい。俺が洗面台に行って、顔を洗って、オートクリーニングマシンに連勤でたっぷり汗を吸ったシャツを放り込んでいるあいだも、おふくろの気配がしない。

「エコー。昨日おふくろは何時に寝た?」
俺は鏡に映る、目にくまを溜め込んだ自分の顔に向かってそう訊ねた。

『はい。お母様は昨日、帰っておりません』
お上品で感情のないホームAIの声が、壁から染み出すように返答する。

「帰ってないだって? 一昨日は?」
『お母様は一昨日、帰っておりません』

俺は耳を疑った。
「じゃあ、どこで何してるっていうんだよ?」
それは問いかけじゃなく、ほとんど独り言だった。

『お母様は三日前、病院に搬送され、そこで亡くなられました。手続きをご希望の際は、弁護士を検索します』
「なに?」
『もう一度再生します。お母様は三日前、病院に搬送され、そこで亡くなられました。手続きをご希望の際は、弁護士を検索します』

アルコールで火照った脳が、一気に冷めていくのを感じた。


おふくろは俺にとって唯一の家族だった。

親父は俺が生まれてすぐ、安物の外骨格を入れたせいで脳の回路が焼ききれて死んじまったし、親戚は俺たちのことを気にもかけようとしなかった。それなのに俺の記憶の中のおふくろは、いつだって笑顔だった。

「あなたの行いはあなた自身に返ってくるのよ」
それが口癖だった。


薄暗い病院の中は、肩がぶつかったらそのまま死んでしまいそうな連中で溢れていた。

「病院に運ばれてくるのが遅れ、そのときにはもう手の施しようがなく……」
白髪頭のドクターは、業務的な口調でそう言いやがる。死体をどうするかと訊かれたから、ひとまずあんたのとこの冷凍庫にでも入れておいてくれと言っておいた。傷つけたら殺してやる、とも。

それから俺は家に帰ってコーラとチーズバーガーを買ってきて、胃に押し込んだ。どれも味がしなかった。腹が膨れて、まぶたを閉じると、たちまち昼夜は入れ替わる。

目が覚めたとき、時計は出勤の時刻を指していた。



会社のオフィスは街の最も栄えた地区の大通りからよく見える位置にあった。

俺がそのオフィスのドアをくぐると、セブンが驚いた顔で駆け寄ってくる。
「おい、シックス。お前、出てきて大丈夫なのかよ」
「ん? おいおい、セブン。こんな朝早くから出勤してるなんてどういう風の吹き回しだよ」
「俺は夜勤だよ。それより、お前、おふくろさんが……」
「知ってんなら話ははやい。なんでおふくろの救助保険が適応されなかった?」
俺はセブンの胸ぐらをつかむ。
「か、金が未払いになってたんだ。今月分の更新で」
「金なら俺の口座から引き落としになってるはずだ!」
「そんなこと俺が知るかよ。頼むぜ、シックス。おふくろさんが死んで悲しいのはわかるが、気をしっかり持つんだ。とにかく今日は休め」

俺にはセブンの言っていることは、よくわからなかった。だが休んだ方がいいというのには同意だ。このままじゃ頭の中の血管が一つ残らず破裂しちまう。

俺はオフィスを出て、駐車場に止めてある自分の車に乗る前に、セブンの真っ赤な愛車に蹴りを一発いれた。


「何をしている、シックス」

なんてこった。俺を後ろから呼び止めるその声を聞いた時、口の中に苦いものが広がる。

「ボス……」
後ろを振り向くと細身の男のシルエットが見えた。

そんな体つきながら、漲る若々しさが、ビジネススーツ越しでも伝わってくる。齢55歳。この初老の男はたとえ腹を空かせたトラが目の前にいてもその威厳を崩さないだろう。

「実は休養をもらおうと思いまして。体調不良で」
俺がそう告げると、ボスの鋭い目尻が更に鋭くなった。
「しかし今日は君に頼み事があったのだがな。実は以前から要請していた新型のスーツが納品されたのだ。そのテスト運用の相手を君にお願いしたくてね」

俺は少し悩んでから、首を縦にふることにした。
「……わかりましたよ、ボス。しかし加減はしてください」

結局、俺は逆らえなかった。


駐車場を離れ、救護車や救護用スーツが管理されている車庫に向かう。

その道すがら、ボスは一言も口をきかなかった。まるで話すという行為はこの世で一番無駄なだと信じてるみたいに。

だから結局、俺の方からボスの背中に言葉を投げた。

「おふくろが死んだんです」
 ボスはまだ黙っていた。
「事故があって。買い物に出ていた時に、爆発事故に巻き込まれました」

「そうか」
そう答えるボスの声に、感情はなかった。


潔癖的な白い壁に、いくつもの薄い線が方眼状に入ったその部屋は、仲間内からは『お勉強室』と呼ばれていた。

そこでいくら『お勉強』したところで、現場のことは何もわかりっこない、という具合に、だ。

俺がその部屋に入っていくと、頭からつま先まで汚れ一つない、シックな黒塗りのバトルスーツが立っていた。

月とスッポンだ。俺の旧式スーツにはフルフェイスマスクすらないというのに。

「では、はじめよう」

そのマスクの内側から、ボスの声が聞こえる。

「お手柔らかに」

先にボスが動く。細い体からは想像がつかないほど、俊敏で重い一撃が俺の頬を狙っていた。

最新式の粒子筋肉で加速された攻撃が、何発も俺のアーマーをかすめていく。

短く空気が漏れるような音がして、ボスの拳が俺の目の前で加速した。俺の反応を置き去りにして、その鉄拳は俺の脳を揺さぶった。


倒れこんだ俺の顔を、ボスは興味なさげに見つめる。

「シックス。我々が行っているのはビジネスだ」
ボスが吐き捨てるように言った。

「君のお母さんのことは残念だ。シックス。しかし、それを招いたのは他でもない、君の不注意だろう」
ボスはそう告げると、踵を返して部屋を出ていった。

残された俺は床で大の字になったまま呟いた。
「あなたの行いはあなた自身に返ってくる、か」



俺が次にボスを見つけたのは、オフィスへ向かう通路の途中だった。
背後からやってくる俺に気づくと、ボスはフルフェイスマスク越しに、首だけを曲げてこちらを見た。
「まだなにか言いたいことがあったかね?」

俺はすぐにはそれには答えない。かわりにゆっくりと、懐から煙草を一本取り出した。そして同じだけたっぷりと時間をかけて、それに火をつける。
「シックス。ここは禁煙だ」

俺は肺の中の煙の味を感じながら、言った。
「ボス、あんたの言うことはごもっともだ。俺に降りかかる災難はすべて、俺が不注意なせいだよ。現場の重症者が見殺しにされるのは、そいつがうっかり保険に入っていなかったからだし、おふくろが死んじまったのも、俺がうっかり働きすぎたせいだ」

ボスの体がこちらを向く。
「何が言いたい」

「いや、だからさ。どんな不運な事故も、突き詰めていけば原因はそいつにあるってことだ。あんたはそう言ったんだろ?」

「おい、シックス。お前、何を……そのタンクはなんだ?」
ボスは俺の右手を注視しているようだった。いや正確には、俺の右手が持っている物を。

俺はそいつを渾身の力で放り投げた。

たっぷりと液体が満ちた白い給水タンクが、ボスめがけてまっすぐに飛んでいく。しかし突然そのタンクは空中で二つに割れた。

ボスのボディアーマーの肘関節から、一振りの刀が伸びている。
そいつがタンクを両断したのか。

しかし俺はそんなものに怯むことなく、ボスとの距離を詰める。タンク内の液体がやつの視界を覆っている間に。

「小細工を!」
ボスは鋭く声を上げ、通路を後退した。

俺の拳は空を切った。
躱された。ボスの視界は完全に塞いでいたというのに。

「頭を使ったようだが、無駄だったな。この新型には暗視のためのサーモも搭載されている」
ボスの声は冷ややかだった。

「さて、シックス。これは正当防衛になるな。残念だ。君はいい人材になると思っていたんだがね」
俺はやつに手を伸ばし、足首に掴みかかる。
「いい人材、だと」
「そうだ。実は君の口座からの出金を止めたのは私の指示でね。母親を殺したのも。君が独り身になれば、飼いやすくなると踏んだ。だが、とんだ期待はずれだったよ」
そう告げるボスの声には、現実味がなかった。

「俺もあんたに言いたいことがある。サーモがついてるって言ってたよな。そのマスク」
ボスは何も答えない。俺は続けた。
「じゃあ、これは視えるか?」
俺は、口に咥えていた煙草を足元に吐き捨てた。煙草の先には当然、火がついている。それが地面に触れた途端、辺り一面に炎が吹き上がった。それは瞬く間に伝播し、俺たちは高熱に包まれた。

「重油か!」
ボスが上げた声に、初めて焦りの声がうかがえた。
「ええい、離せ!」

俺はボスの足首を握る腕に、さらに力を込めた。
「シックス! 貴様ああああ!!」

腕を引くと、ボスの姿勢が崩れた。
顔を焼く炎に怯むことなく、その体に馬乗りになる。

「受け入れろよ。これがあんたの行いの結果だ」
俺は熱で溶けかかる拳を、ボスの顔面に叩き込んだ。


日曜の昼下がりの公園には、親子連れが多い。俺は芝生を囲む小道に配置されたベンチに腰掛けて、クロワッサンを頬張った。

こうして外に出るのはあの日以来だ。この時間は日光が強いせいで、顔の火傷がひどく痛む。

俺はカウボーイハットを深くかぶり直した。

結果から言うと、あの場から俺は生還し、ボスは屋台の焼き鳥みたく焼けて死んだ。

俺のスーツは救護用で耐火加工や、雨を弾くための空気防護機能があって、やつのは戦闘用に作られていた。それだけ。皮肉なもんだ。

その後のことはセブンがうまくやってくれた。ボスの不正の証拠を掴み、俺に腕のいい医者と弁護士を紹介してくれた。いい友人を持ったもんだ。

俺は腕時計をみて、立ち上がる。
そろそろ時間だ。

公園の出口にさしかかったとき、道の側にコーラの空き缶が捨ててあるのが目に入った。近づいて拾い上げる。ゴミ箱を探そうと辺りを歩き回っていると、もといたところまで戻ってきてしまった。

「まあ、そういうこともあるよな」

俺は小さく笑いながら缶をゴミ箱に放り込んだ。


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