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『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)感想

10分読書の時間に少しずつ読んでいたものが終わりました。感想というか、読みながら考えていたことを書き残しておきます。


特別支援教育と愛嬌

 「愛嬌が大切」

そんな言葉を繰り返し熱弁する先輩教員がいました。特別支援教育での話です。

支援学級の子は今もこの先も人に理解を求め助けてもらう生き方をする可能性が高い。なので人から助けてもらいやすい人になってほしい。それはどのような人物像か。それこそ愛嬌。愛嬌こそがこの子達が人と関わっていくための資質になると。

なるほどなぁ…と思っていつも聞いていました。


チャーリーが見失ったもの

作中に出てくるチャーリーに足りなかったものが愛嬌なのかどうかはわかりません。知能が向上した時のチャーリーにもあれはあれで愛嬌はあったのかもしれません。

ただ、パン屋で働いていた頃のチャーリーにはあって、知能が劇的に向上したチャーリーが失ってしまった何かは間違いなくありました。その結果周囲の人間のチャーリーに対する付き合い方が変わっていったのです。この作中の描写を読んでいて、先の「愛嬌」の話を何度も思い出しました。


可愛げのない自信

支援学級では子ども達が自信を持てることを願ってあれこれ指導をしますが、その結果子どもが周囲に対して威張り始めるという姿がちょくちょく見られます。「これができる俺は凄い。見たか!」という姿です。自分の指導力の無さ故の結果です。

その姿を「立派になったなぁ」「自信が持てたんだなぁ」と見ることもできますが、人によっては、特に歳の近い人間にとっては「可愛げのないやつ」と捉えられることもあります。

「そんなこと言わないであげてほしい」
「あまり威張ったりしないほうがいいよ」

自分は自信を持った子にもその子の話を聞く周囲の子にもそれぞれあれこれ言って回り、子ども達の人間関係を維持しようとするわけですが、そんな火消しのような支援をする人間がいつまでもいるわけはなく。子ども達の遠い未来までを見据えると、この愛嬌というかコミュニケーションのバランス感覚のようなものが重要であるとは思うのです。思うのですが。


自信と愛嬌と

この話題には答えがありません。少なくとも自分は答えを見出せていません。この本を読んでいて、中盤以降何度も何度もこの「愛嬌」を語る先輩教員の姿を思い出していました。

できることを増やし自信を得てほしい。
でも愛嬌のある人間でいてほしい。

別にこれらが二項対立しているわけではなく。1人の田舎教員としてどちらも意識した関わり方をしたいなぁと、本を読み終えた今改めて考えています。

そんな影響力を持った一冊でした。


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