バカが運転免許とりにいく話③完〜駆け抜けて本免編〜

=前回までのあらすじ=

免許を取得して夫を轢き殺したい。


季節外れの雨は雪に変わり、正月が過ぎれば途端に何もかもが白銀に閉ざされる季節。
またこいつ(夫)と新たな年を迎えてしまった絶望もそこそこに、妻はやはり足繁く自動車学校へ通っていた。

仮免許を取得したため、公道での技能練習と、引き続き学科をこなす日々であったが、しかしその表情は暗い。
それもそのはずである。

「もう何やってんの!?」
「ほらどんどん追い越しされてるよ、周りの車イライラしてるんじゃない?」
「なんも考えてないなあ〜」

乗れども乗れども妻の運転技術が一向に上達しない。
助手席に乗る教官から言われる言葉はこんなのばかりで、いまこの瞬間貴様の命を握っているのは妻であることを忘れているんじゃなかろうかと思うほどの辛辣っぷり。


妻は雪深い地域に住んでいるため、冬は道幅が極端に狭かったり、路面が凍ってタイヤが滑ったり、業者や近隣住民により堆く積まれた雪が見通しを悪くしていたり、とにかく道路状況が最悪だ。

その最悪な道路を、最悪な危険運転ドライバーが走るのである。

最悪と最悪が掛け合わされて起こる化学反応により、妻が運転する教習車は毎度阿鼻叫喚の巷となっていた。

加えて妻が乗るのは、何が何やら訳の分からぬMT車。
安全な教習所内ならまだしも、その日その瞬間によって状況が大きく変わる公道で、周りの状況を素早く判断しながら手足を連動させて、エンストしないようにギアをうまく繋ぎ変える……なんて器用な真似は、どうやったって妻には難しい芸当だった。

夫に言わせてみれば、「それくらいのマルチタスクがこなせるような能力を持つ人間でなければそもそも車の運転なんて危なくてさせられない、AT限定なんてなくなればいい」とのことだが、意味不明である。
恐らく妻は一生納得がいかないだろう。

ならばなぜオートマ車は誕生したのか。
夫の主張を聞いていると、いつも妻は宇宙に放り出されたような気持ちになる。

なぜアクセル一つでブーンと走り出す車が主流の時代に、自動運転機能まで搭載されはじめたこの時代に、こんな訳の分からんことを血眼でガチャガチャやらなければ動かぬものを運転しているのか。

もしかすると夫は、洗濯物も川ですすぎ、掃除も竹箒とちりとりでやりたいタイプなのだろうか?
野山にまじりて竹を取りつつよろづのことに使いたいタイプなのだろうか?


君死にたまへ。



そんなわけで公道で危険運転の限りを尽くしていた妻は、すっかり運転そのものに辟易するようになっていた。

妻の年代では、男女ともに9割近くの人が運転免許を保有している。
周りを見れば老若男女問わず、誰もが当たり前に車を運転して生活している。

みんなが当たり前にできることが、自分だけできない。

沈んだ気持ちは、妻の思考をドン底へ突き落とした。

それでも。春になったら仕事だって始めなければいけないし、そのためには次男の保育園だって探さなければならない。

人の話なんて右から左、おまけに鉛でも巻きつけているのかというくらい腰の重い夫と無理やり不恰好な二人三脚を組まねばならぬくらいなら、その縄を解いて自分一人で走ったほうが圧倒的に何もかも楽である。

諦めてはいけない。
妻、ネバーギブアップ。

日常的にモラハラに晒されて強くなったハートで、妻は諦めずに危険運転を敢行し続けた。
来る日も来る日も交通を乱した。
自分とは合わないなと思ったり、妻のとった動作を真似して小馬鹿にしたような注意をする教官には、NGを出した。

早く免許を取得したい。そして早くこのMT車に別れを告げたい。早く夫を抹殺したい。
その気持ちが、妻を厚顔無恥のモンスターにした。

ーー飼い慣らしてみろよ、危険運転ドライバーこの俺を。


最悪である。

運転はド級に下手なくせにハンドルを握っただけで強気になって偉そうにばかすかNGを出す謎のMTおばさん爆誕の瞬間である。

時代が時代なら「お前は免許取っても一生車に乗るな」と詰られただろう。

叶うことなら「残額分は返金するからもう辞めてくれ」と懇願されただろう。

妻が教官の立場ならnoteに「バカが運転免許とりにきた話」とでも題打って投稿して鬱憤を晴らすだろう。
法令遵守の意識は出産で胎盤と共に産み落として捨ててきた。


かくして怒り狂うモンスターは走り続けた。走って走って、走り抜けた。
そして三月上旬。ニュース番組がちらほらと各地の春の報せを告げるころ。

妻は、無事に本免の技能と学科の試験に合格し、運転免許を取得した。


自動車学校に通い始めてから約四ヶ月。
短いようで長い時間だった。思うようにいかない時もたくさんあった。

この四ヶ月の間で、子供たちとともにインフルエンザにかかり、コロナにかかり、溶連菌にかかった。
疾病ビンゴ一等賞である。

妻は今まで様々な資格を取ってきたが、こんなに心身ともに追い詰められたのは初めてかもしれない。それほどまでに運転が向いていない。

ちなみに技能試験の最後に、判定員の教官からアドバイスをもらったのだが、これがまあ当然ボロクソだった。
二度とハンドルを握りたくないと思うくらいにはけちょんけちょんにされた。

もうこのモンスターからは金を搾り取れそうもないし、春休みの学生たちで学校はてんてこまいだからさっさと卒業してもらおう、というお目こぼしで合格させられたに過ぎないんだと思った。

しかし最後に教官から

「お子さんがいるのであれば、どんな時でも常に、後ろや隣に自分の子どもが乗っていたらどうするか、と考えながら運転しなさい。安全運転とはそういうことだよ」

というアドバイスを頂いた。
まさにその通りであると妻はハッとした。

車を運転するということは、人の命を預かっている責任の重大さを自覚し、いかなる時も安全を心がけるということなのだ。

間違っても助手席に夫が乗っているときに電柱めがけてハンドルを思い切り左に切ったり、数十メートル離れた場所にいる夫を軽トラで一思いに轢き殺したりすることではない。


「まあでも今どきマニュアル取らないと許さないなんて言う旦那は間違いなくヘンだね! え、MT免許で取る意味? ねえよw ATで充分だもんw 旦那が狂ってるw じゃ、お疲れ〜」




何はともあれこれでどうにか車を運転することが可能になった妻。

自身の就活と次男の保活も無事に終え、いよいよ新生活が幕を開けようとしている。

長男は幼稚園の年中クラスへ、次男は保育園へ。
妻は子供たちが幼いこともあって、車を使えば十分ほどで着く職場での勤務を選んだ。

あとは夫を墓場へ葬ることができれば最高の新年度である。
春は近い。



最後に、妻が免許取得後初めて夫を横に乗せて自家用車を運転した時の、夫の言葉を紹介しよう。



「お前やばすぎ。よくこんなんで免許取れたな。自動車学校にクレーム入れてやりたいレベルww はいほら行って行って、あーもう遅いわ。いやいや何やってんのお前!?」




皆さん、次回は夫の葬式編でお会いしましょう。

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