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幸せの阿弥陀くじ

仕事において、仲間と担当内容を分ける際に、使う技が3つある。
一、じゃんけん
一、気分のよい方の「お先にどうぞ」
一、阿弥陀くじ

大概、上2つで事なきを得る。
ただ、私は、阿弥陀くじがしたい。
特に、時間に余裕がある時には、
脳裡で、「阿弥陀くじ始まらないかな〜」とひっそりと願っている。

先日、その機会が訪れた。
大好きな先輩の「も〜阿弥陀で決める?」
その鶴の一声で、ランクBくらいのそこそこ大事な仕事内容を、
阿弥陀くじで決めることとなった。

楽しい。
5本の縦線をシャっと引くのも、横線がわくわく度を高めるのも、楽しい。
その楽しさに、決定した仕事内容は二の次で、
「なぜ、阿弥陀くじが好きなのか」について、懐古していた。


この世には、幼少期のことを鮮明に覚えられる人と、
ほとんど忘却してしまう人がいる。
私は、恐らく、後者だ。
幼少期の、家族と交わした言葉まで記憶している妻とは反対に、
私は、ほとんど忘れてしまっている。
小1どころか、高校時代の同窓生も6割の記憶がやっとである。

ただ、そんな私でも、フィルムのネガのように
断片的に、色濃く脳裡に焼き付いている場面がある。
場面というより、色濃い時間、匂い、空気感、感情か。

土曜の朝食後の、家族対抗、板チョコ阿弥陀くじ

これが、小学生時代のネガの一断片だ。
ゆっくりと起き出した家族が、深い緑のテーブルで、
味噌汁とご飯、副菜を食べた後の一興。

当時まだ言葉も発せなかった三男はおいておいて、
残りの父母、長男の私、次男の4人による戦い。

週によって違う板チョコのメーカーだったが、
当時の記憶を探ってみると、

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結局、明治のこのミルクチョコレートが一番しっくりきていたのを思い出す。
乱雑な父が、4片に絶妙なバランスで板チョコを割り、
皆でそれにABCDをつけ、板チョコの包の裏に阿弥陀くじを書いていく。

その得も言えぬわくわく感と、多幸感、そして温もりを今でも肌に記憶している。

これこそが、私が阿弥陀くじを心のどこかで想い続ける所以なのである。
腑に落ちた。
さあ、次のエッセイのテーマを何にするか、
「あ〜みだっくじ〜 あ〜みだっくじ〜」

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