あたしアナウンサーになれない
あたしアナウンサーになれない
君も色々してきたくせに
どうやって息をするのが
正解だったか教えて
-「マジックミラー」大森靖子
私は最近大森靖子さんにはまっていて、先日初めてライブに行き、さらにはまりました。
心って、自分と違う無数の他人と関わるために、自分固有の熱源みたいなものに氷の壁で蓋をしていて、みんなそれでうまく生きていると思うのですけど、
大森靖子さんの歌は、その氷の壁にアイスピックをグサグサ突き刺して、中から黒いドロドロが出てくるような、そんな感覚になるのですよね。
上の歌詞はマジックミラーという曲の出だしのところなのですが、私は男なので直接関係ないはずなのですが、グサグサ刺さってゲロ吐きそうになります。
「あたしアナウンサーになれない」
この一文で人生の苦みがすごく表現されているように思います。
ピッとラインを引かれて、自分はあのラインの向こう側には行けないのだという感じ。
アナウンサーっていうチョイスがまず絶妙なのですよね。
アナウンサーって、知性もあって可愛くて~みたいな、単線的な世界での、女の子の頂点みたいな感じを受けます。
でもその背後に感じる、男性社会に強制された「清楚」とか「従順」とか、「可愛くあるべき」みたいなそういううすら寒いイメージも含まれていて、その意味でも、ある一面から見た「女の子性」の頂点の言葉だと思うのですよ。
加えて、「あたしアナウンサーになれない」なんて言っている人は、きっと自分で自分の幸せを定義できていない人で、
とにかく最高にちやほやされたいみたいな、この歌の「アナウンサー」は、そういう人にとっての頂点であるようにも思います。
別に私は夢があって努力したけど報われなかった、みたいな経験があるわけではないですし、そもそも女の子ではないのですが、
でも、お前は特別じゃないという感じ、ずっとうすうすとは分かっていたけど、認めたくないけど、という感じ、
その根本にある苦々しさが、自分の過去の苦々しさと共鳴したから、生で聞いてなんかもうほんとにゲロ吐きそうになったのだと思います。
あんまり理屈では繋がらないのですが、ブルーハーツに通ずるものを感じました。(私は世代ではないのですが)
思い出したのは「ラインを越えて」という曲です
「生きられなかった時間や
生きられなかった場面や
生きられなかった場所とか
口に出せなかった言葉」
「誰かが使いこなす ホンネというタテマエ
僕はラインを越えて 確かめたいことがあるよ」
こういう感情のとき、しにたみも浮上してきますが、でもそういう感情こそがその人そのものなのだろうと思って、愛おしいなぁと思います。(自分も他人も)
おわり
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