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デザインと想像力とYAZAWA

デザインについて最も重要な要素は、他者を思いやる想像力、みたいなことを書きます。

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受け取る側が「どう思うか?」「どう解釈するか?」「どういう気持ちになるか?」という視点を持つのは、当たり前のようで欠けがちです。

最近話題になった品川駅の広告もそうですが、受け手の状況や心理を想像できていなかった時、デザインは凶器にもなり得ます。

Googleで何かのサービスを検索をした時、競合他社がそれを貶めるような広告が出たりするケースもありますが、それをみた人の気持ちはどうでしょうか?

これらの例はデザインを取り扱う人は、特に丁寧に考えていかなければいけないなと思います。

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受け取る側を考え、想像力が大事なのは、視覚に訴えるビジュアルのデザインについても、ちょっとしたワーディングについても、いわゆる設計と呼ばれる広義の分野でもそうです。

例えば

保険会社のランディングページで、複数の人物のイラストを使ったビジュアルを作る時、どこの誰に届くかを考慮して、肌の色をそれぞれ用意してデザインしたりとか

決済システムのUIを作る際に、住所入力の後に支払い情報の入力、みたいにページが分かれている際のボタンのラベリングが「次へ」だとちょっと怖いから、「支払い情報に進む」ほうがユーザーにとっては怖くないよなとか

クリエイターが作品を販売できるサービスで、作品をシェアする導線を置いた時、文言を「数量限定!販売中!」とすると商売気が強すぎるから、「販売開始しました」とテンション低めにするとか

どう受け取られるか、想像力を働かせることが大事だと思います。

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「ボクは別にいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?」

矢沢永吉さんの都市伝説的に伝えられているこの言葉(※)は至言だと思っていて

本人の判断ではなく、想定された「誰か」がどう思うかという視点はデザインに携わる人にとって特に重要です。

※矢沢永吉さんがツアー中、スタッフがホテルをツインルームで予約したことを告げられた時に出た言葉。その後スウィートルームに変更された。

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なぜこんなことをしつこく書くのかというと、それはデザインは人を殺すことすらもある、という認識、自戒からです。

悲劇的なデザイン、この本に紹介されているように、デザインは容易に人を傷つけ、人を殺すこともあり得ます。

気分が優れないままホームに立つ誰かの背中をサクッと押せてしまう力がデザインにあること、それに自覚的であるべきです。

そういう悲劇を生まないために、デザイナーは想像力を強く強く働かせることが大事だと思っています。

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発信されたデザインについて、それを受け取る側がどう思い反応し、どう作用するかということは、常に意識しておくべきというか、デザインの根本ですらあると思います。

「ボクはいいけど、ユーザーがなんて言うかな?」

最近、この辺りの観点が抜けているデザインを散見したので書きました。

それではまた!

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