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私が推しのファンになった理由。2022/01/14

解散した私の推しについて書いてみようと思う。

名前とグループ名は書かないでおく。

書いたとしても、知ってる人がどのくらいいるのか。
新大久保ドルが好きな人なら、グループ名は聞いたことはあるだろう。
もしかしたら1度くらい無料チケットで見に行っているかもしれない。

日本で活動していた2年間、浮き沈みありながら、1番盛り上がっていた頃は、ショーボックスで立ち見が出るくらい人気があった。

新大久保ドルはだいたい、3か月程度の長期公演をショーボックスやKステージで行い、1ヶ月ほど帰国してまた来日するというパターンが多い。

推しもそういうアイドルの1人だった。

それまで私は新大久保ドルに興味はなく、ショーボックスに行った事も無かったが、なぜ推しのファンになったのか。

そのグループの中に、元々韓国の別のグループで活動していたメンバーがいて、その人を見るために行ったのが最初。

その公演がとても楽しくて、私はその日、彼らのファンになった。
そして、当初の目的のメンバーの隣で歌っていた青年のファンになった。
その歌声に、私は堕ちてしまった。

推しは、新大久保での活動どころか、アイドルとしての活動が初めてだった。
恐らく推しは、グループ内で1番人気があったんじゃないかと思う。
日本人に好まれるタイプの顔だった。

初来日からいきなり3ヶ月の長期公演、その頃の推しの笑顔の記憶はあまり無い。
いつもどこか心を閉ざしているような、冷めたような、そんな印象だった。

私は一眼レフを持ち、公演前のPR(チラシ配り)をする推しの写真を撮るのが好きだった。

PRの写真を撮る人たちの間では、暗黙のルールが存在する。
私はその中に入っていく勇気が無かったから、いつも遠くからなるべく邪魔をしないように写真を撮っていた。

そんな私の存在など、推しの目には入っていなかったと思う。

推しは、いつもPRの1番後ろを無表情で歩いていた。

もう少し笑顔でチラシを配ったらいいのに、、と心配してしまうくらい覇気がなかった。
そのうちこういう生活が嫌になって辞めてしまうんじゃないかと、一眼レフで撮りながら思っていた。

最初の3ヶ月、私は手紙を書いた事もなく、自分の名前を覚えてもらおうとか、ペンサをもらおうという目的も無かったから、ただ推しの歌が聴きたくてショーボックスへ行っていた。

推しの声が、好きだったから。
それだけで満足だった。

特典会でツーショットチェキを撮ったのも1度か2度くらいだった。
いつも推し1人だけのチェキを撮って、自分は写らないようにしていた。
一緒に撮るのが恥ずかしかったから。

いや、、、それだけしゃなくて、プライドが邪魔していたのかもしれない。
アイドルとツーショットチェキを撮る"いい年をしたヲタク"、というのがなんとも、、カッコ悪いような気がして、、、

そんな感じで最初の3ヶ月、私はマイペースにのんびり公演を楽しんでいた。
無理して公演を見に行こうとか、推しに覚えてもらいたいという目的もなく。
今思えば、この頃が1番純粋に公演を楽しんでいたような気がする。

彼らを好きになればなるほど、彼らを取り巻く状況に心を痛め、苦しくなっていくなんて思いもしなかった。

それでも今は、
彼らを応援した新大久保での2年間が、私にとって大切な宝物みたいな時間だったと思う。

私は推しの歌が本当に、好きだった。

その声が、本当に大好きだった。


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