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先生が先生になれない世の中で(8)人が人でなくなっていく教育現場

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)
*この記事は、月刊『クレスコ』2018年7月号に掲載されたものです。

先生が先生になれない社会で、学校は、子どもたちはどのように変化していくのだろうか。先日、それを如実に物語るエッセイを読んだ。

書いたのは實川瑞樹さん。大阪府立高校に通う現役の高校生だ。「暴力のない『平和』な学校:真の恐怖とは?」と題されたそのエッセイ(追記:現在はアクセス不可)の中で、当事者である生徒の視点で描かれた学校の惨状はあまりに生々しく、読む者に強烈に問いかけてくる。これでいいの?

2008年に大阪の公立小学校に入学した實川さんが描く学校は、教員から体罰が奪われた「平和」な学校だ。しかし、彼はこう指摘する。「あなた達大人が同じように子供を教師の暴力から守ろうとした結果、そんなものよりももっと恐ろしい、耐えがたい傷を背負うことになりました。」

背景には、体罰のタブー化と、「体罰」という概念の拡大がある。「近年『体罰』という言葉の範囲は拡大する一方なので、説教の際の言葉も強くすることはできません。きつい言葉を使うとつかまります。そう、手段がないのです。野放しにされた彼らにとって学校という環境はまさに天国です。」

米国では、差別や偏見を排除した、政治的に正しい表現をすべての人々に求める過度な「ポリティカルコレクトネス」運動が、人々を萎縮させ、公的な場で自分の意見を述べることや、本音で会話をすることを困難にしてきた経緯があるが、これはその流れと似ている。人々の権利意識や訴訟文化の拡大も伴って、発言がすぐ非難されてしまうのであれば、人は当たり障りない表現しかできなくなり、しまいには何も言えなくなる。

体罰も同じで、教員の暴力から子どもを守る措置はなくてはならない。ただ、「体罰」という概念が一人歩きしはじめると、教員は萎縮し、真剣に叱ることすらできなくなってしまう。

さらには、「説明責任」の重圧がかかる今日の学校では、生徒指導の結果、生徒がどう変化したかより、指導の過程をきちんと説明できるかどうかが重視される。だからリスクを冒して厳しく生徒指導しなくても、「ちゃんと注意したからね」、で事足りてしまう。

学校が体裁ばかり気にする中、手加減をすることすら学んでない「やんちゃな生徒」は、教員が両手を縛られていることを見透かし、非行をエスカレートさせる。そうして、教員が「抑止力」を失った教育現場は、「多種多様な悪行」がまかり通る「無法地帯」と化すのだ。

実はこのような流れの反動として日本でも用いられているのが、「ゼロトレランス」による生徒指導のマニュアル化と警察への外部委託だ。しかし、機械的に排除していくそのシステムは、あまりにも冷たい。

その実態を知ることは大人には絶対に不可能、と實川さんは断言する。何を言ってもどうせ変わらない、と思っている生徒は、一見「平和」で、きれいな学校の裏側を、信頼できない大人に伝えるはずがないのだ。こうして子どもたちは、大人に幻滅し、理不尽な「社会に絶望」する中で、保身のための無関心そして思考停止状態に追いやられていく。もはや教育の成り立っていない實川さんの学校の話を読んでも、私は別に驚かない。どこでも起こり得る話なのではないかと思う。

以前にも紹介した私の恩師で、千葉市で教員をしている小関康先生は、實川さんのエッセイを読み、こう言った。「『現場から心がなくなっていく』を通り越して、人が人でなくなっていく」。その言葉は、「世界最大の悪は、ごく平凡な人間、つまり人であることを拒絶したものが行う悪である」と言ったハンナ・アーレントを彷彿させる。ナチス占領下のドイツで起こった、ユダヤ人の大量虐殺という前代未聞の大罪が起こった理由を追求したアーレントは、「悪の凡庸さ」という結論に辿り着いた。悪とは、普通の人間には理解不能な異質な存在などではなく、実はもっと身近なもの。ごく普通の人々が集団的に思考停止状態に陥った時、そこに悪が繁殖し得るモラルの空白が生まれるのだ。

問題は複雑で、体罰を無くしたら学校が平和になると思ったら大間違いと指摘する實川さん。その通りだと思う。しかし、だからといって、体罰を復活させたら学校が平和になるかといえば、それもまた違う。体罰なんかより、もっときついものがある。それは、自分が心から「先生」と思える人との信頼関係を失うことだ。

小関先生がしみじみと言った。「この子、俺の学級だったら良かったのにな。」

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鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki

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