20歳のときの自分が大嫌いだった私から、20歳になった人へ贈りたい言葉

こんにちは。
お月見もちもちです。

先週月曜日、1月9日は成人の日でした。
成人年齢が18歳に引き下げられたものの、実際に成人式を行ったり、飲酒や喫煙が解禁されたり、あるいはティーンエイジが終了して一つ上の大台に乗ったり、成人の実感があるのは20歳になったときなんじゃないかな、と思います。

そして私の身の回りにも、昨年20歳を迎えた人が多くいます。
ですので、今回は、20歳の方へ贈りたい言葉を書き散らしていこうと思います。

私は最近になるまで、自分のことが嫌いな人間でした。
どれくらい嫌いかというと、成人式の前撮りのときに、振袖を着せられてヘアメイクを整えられた自分ですら醜く見えて、できあがった写真を見せられた時に泣き出してしまうほどでした。

なんともめんどくさい人間ですが、当時の自分はそれくらい自分のことが嫌いだったのです。

恐らくそんな風に自分を呪っている人も読者諸氏にはいるのではないかと思います。

ですが、私の場合は、とあることをきっかけに思うことがありました。

ある日、引っ越しのために自室を片付けていたとき、母が使っていた鏡台から日記が出てきました。

それは、私が生まれてから1歳になるまでに母がつけていた日記でした。

母は私が毎日どのように成長していくか、毎日何ができるようになったかを一日も欠かさず書き残しているようでした。

そして日記の最終ページ、私の1歳の誕生日のときに母はこのように書き残していました。

「今日で1歳。この日記とさよならするのは寂しいけど、これからのこの子の成長が楽しみです。生まれてきてくれてありがとう」

よくある母親の言葉ですが、私はその日記を見たときに、涙が出てきてしまいました。

自分は自分の人生を呪っているが、他の人は自分の人生の幸せを願ってくれている。

そんな事実に気が付いたとき、自分の成人式にも意味があったのかと思いました。



今、もしかしたらあなたも自分の人生が肯定できないかもしれません。
ですが、それでもいいと思うのです。
そんなあなたの人生でも、きっと誰かが幸せを祈ってくれているはずです。
仮に身近にそういう人がいなくても、ネットを通した向こう側には、あなたの幸せを祈ってくれている人がいるかもしれません。

ですので、20歳の時点で自分が嫌いでも大丈夫です。
何も信じられなくても大丈夫です。
いつかきっと必ず、自分が愛されていると気づく瞬間があるはずです。


成人おめでとうございます。

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