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僕らと命のプレリュード 第54話

「……アリーシャ、大丈夫?」

 エリスは心配そうにアリーシャを見上げて尋ねた。

「顔、すごく怖いよ……?」

「あ……ごめんなさい」

 アリーシャは慌てて笑顔を作り、エリスの頭を撫でた。

「昔のことを思い出していたの」

「昔のこと……?」

「ええ。戦争に巻き込まれて、家族を亡くして……ノエルとウォンリィに手を差し伸べられた時のこと。あの日……本当に、沢山のものを失ったわ」

 アリーシャはそう言って、悲しげに微笑んだ。

「アリーシャ……」

 エリスは堪らず、彼女のことを優しく抱き締めた。

「エリス達で、未来を変えよう。絶対……絶対」

 エリスはそう言って、アリーシャを抱き締める力を強くする。

 彼女の袖口から、オレンジ色の腕時計が覗いた。

「エリス達の、大切な人のために……戦争の無い未来に変えよう」

 そう言うエリスの目には、透き通った涙が溜まっていた。

* * *

 エリスは、中央都市エデンにある、政府軍育成学校「アカデミー」の生徒だった。

 アカデミーでは、戦闘技術だけではなく、諜報技術や兵器開発に関わる科学技術など、様々なことを学ぶ。エリスは、諜報工作学が大の苦手だった。

 そんな彼女のために、2歳年上の幼なじみの青年、テオ・シモンは毎週彼女に勉強を教えていた。

 土曜日の午後13時、寮のテオの部屋が、2人の約束の場所だった。

 しかし、勉強が嫌だったエリスは、毎週、30分遅れてやって来るのだ。

 この日も、そうだった。

 エリスがドアをノックすると、テオが勢いよく顔を出した。

「エリス!30分遅刻!!」

「ごめーん。時間が分かんなくてさ」

「はぁ……。マイクロデバイスを確認すれば一瞬で分かるしょうが」

 テオは、反省の色を見せないエリスに対して、溜息をついて苦笑いする。

 マイクロデバイスとは、エデンの国民が全員右手首に埋め込む小さなチップのことである。右手首に手をかざすだけで、様々な情報が確認できる。もちろん、現在時刻も例外ではない。

「だって、手をかざすの面倒なんだもん」

 そう言って頬を膨らませるエリスを見て、テオは仕方ないなと笑った。

「全く、エリスは面倒臭がりだもんな。オレはお前との時間は無駄にしたくないってのに」

──お前との時間を無駄にしたくない。テオのその言葉に、エリスは胸を高鳴らせる。

 テオに自分に対する好意があるかは確信が持てないが、もしかしたら……。そう思う度、嬉しくて胸がドキドキするのだ。

「じ、じゃあ早く勉強始めよ!時間無駄にしたくないんでしょ?」

 エリスが顔に喜びを滲ませながらそう言うと、テオはクスリと笑って彼女のおでこを指でつついた。

「あんたが遅れて来たんでしょーが」

 そうは言いつつ、テオも、この分かりやすい2歳下の幼なじみが可愛くて仕方がなかった。

 お互いが、お互いと……もっと深い仲になることを、望んでいた。

 しかし、その願いは叶わなかった。

* * *

 2213年、9月。エデン政府軍は、長引く戦争を終わらせようと重い腰を上げた。

 中央都市エデンは、本来であれば世界を統制する役目を持つ国だ。しかし、各国のアビリティによる技術力や兵力が増強された今、エデンの力では全ての国を統制することは不可能だった。

 しかし、戦争で各国が疲弊しつつある今なら、勝機はある。

 実際に、先日、西の大国ソフィアーの軍部最高長官のハリッシュ・クレイドルが、不慮の事故で命を落としたというニュースが届いたのだ。

 今なら、昔のようにエデンが世界を治められる。そう、国民の誰もが確信していた。

 ただ、そのためには人手がいる。そこで、アカデミーの最高学年であるテオ達に白羽の矢が立った。

 テオは行かなくてはならない。

 危険な、戦地に。

 エリスはそれを知り、ショックで3日間学校を休んでいた。

 自室のベッドの上で、体を丸めながら、エリスはポロポロと涙を流した。

(テオが死んじゃったらどうしよう……)

 不安で不安で、仕方なかった。

 日が暮れるまで、そうやって泣いていた彼女の部屋のドアを、誰かがノックしたのだ。

「は、はい」

 エリスは慌てて涙を拭い、ドアを開けた。

「……!テオ……」

 なんと彼女の目の前には、軍服に身を包んだテオの姿があったのだ。

「エリス、学校休んでたんだって?体調、大丈夫か?」

「う、うん!大丈夫……」

 彼女の表情は明らかに暗かった。それだけではない。目元には涙の跡もくっきりと残っていた。

 それに気がつき、テオは彼女の頭を優しく撫でる。

「何抱えてるか知らないけどさ、無理しちゃダメだぞ?もう、オレは傍にいてやれないんだから」

「っ……」

 テオの言葉を聞き、エリスは思わず涙を零す。

「……やだ」

「ん?」

「テオ、行っちゃやだぁ!」

 エリスはテオの腕を掴んで、泣きじゃくった。

「戦地って、すごく危ないんでしょ?普通の兵隊さんでも死んじゃうような場所なんでしょ?そんな場所に、テオが行っちゃうなんて……エリス、やだよ!!」

 涙を流してそう訴えるエリスを、テオは優しく抱き締めた。

「……エリス。ごめんな」

 テオは彼女を抱き締めながら、優しく告げる。

「オレも、エリスの傍にいたいよ。これから先も、ずっと」

「っ……、だったら……!」

「そのためには、世界を平和にしなきゃならない」

 テオの言葉に、エリスは息を飲んだ。

「オレ達は、アカデミーの生徒だ。いつか政府軍に入隊するために、ずっと学んできた。それも、全部世界の平和のためだ。この出向は……オレが望んでたことなんだよ。だから、これは喜ばしいことなんだ」

 テオはそう言うと、エリスを抱いた腕を解く。

「エリス、オレの顔を見て」

「え……?」

 エリスが涙を拭いながら前を向くと、そこにはいつものように穏やかに笑うテオがいた。

「オレの顔、忘れないでよ。オレが世界を平和にして、帰ってくるまでさ」

「テオ……」

 エリスは、泣きたくなるのを必死に堪えながら、テオに頷いた。

「うん。忘れない。忘れないから……絶対、帰ってきてね」

「うん。約束!」

 テオはそう言って明るく笑うと、腰のポーチから小さな箱を取り出した。

「約束の証にさ、コレ、貰って」

「え……?これ、何?」

「開けてごらん」

 テオに促されるままに箱を開けると、中には、オレンジ色の腕時計が入っていた。

「腕時計……」

「そ。エリスが、もう遅刻しないように」

 テオは優しく微笑みながら、彼女の頭をポンポンと撫でる。

「全部終わったらさ、一緒に出かけよう。エリスの好きなところ、連れてってやるよ。だからさ、その時は遅刻しないよーに」

「っ……!」

「それじゃあな。オレ、そろそろ行くわ」

 そう言って立ち去るテオの背中を、エリスは泣きそうな顔で見つめていた。

(泣いちゃダメだ。テオは、エリスに約束してくれたんだから。ちゃんと、帰ってくるって)

 エリスは腕時計を左手首に巻き付け、涙を堪えて前を向いた。

(信じるんだ。テオのこと)

 そう、自分に強く言い聞かせた。

 何度も、何度も。

 ……しかし、数日後。

 テオが乗った、南の大国バーンへ向かった軍艦が、バーン軍の青い炎使いによって、焼き尽くされたという知らせが届いた。

 それにショックを受ける間もなく、彼を筆頭にしたバーン軍は、今度はエデンへ攻めて込んできたのだ。

 エリスが通うアカデミーも火の海と化し、命からがら避難したエリスは、燃え盛る母校を前に膝をついた。

(無くなった。テオとの思い出が、全部)

 エリスの頬に、涙が伝う。

 やがて、母校を燃やしたのであろう、バーン軍の軍服を着崩した赤髪の青年が、燃え盛るアカデミーから姿を現す。

 彼の目は、虚ろだった。

「おい、お前」

 赤髪の青年は、エリスの前に来ると、その腕を引っ張り上げた。

「エリス・カーライルだな?」

 尋ねられたエリスは、彼のことを鋭く睨み、涙を流しながら怒鳴った。

「この人殺し!!あんたなんかに名乗る名前なんて無いんだけど!!」

 エリスに怒鳴られ、青年は顔を歪める。

「離して!!このっ……人殺し!!」

 エリスに暴れられ、青年は彼女から手を離した。

「人殺し、ねぇ……」

 青年はそう呟くと、今度はエリスのことを担ぎ上げた。

「な、何すんのよ!!」

「頼まれたんだよ。お前のこと」

「はぁ?誰に……」

「……エデン政府軍に参加してた、あの銀髪のやつに」

 ……銀髪。自分のことを頼んだ。その言葉からエリスが連想する人物は、ただ1人。

「……テオが?」

 震える声で尋ねるエリスに向かって、青年は、小さく笑う。

「ああ。たしか、そんな名前のやつだったな」

「で、でも!何でテオがバーン軍のヤツなんかに私を……!」

 戸惑いながら尋ねるエリスに、青年は静かに告げる。

「寂しがり屋な幼なじみを、1人にできないんだと」

「え……?」

「ま、とにかくだ。ここから逃げんぞ」

「に、逃げるって、どこに?テオはどうなったの?生きてるの?」

「後で全部話すよ。ここももうじき政府軍が来るだろ?それだけじゃねぇ、勝手な行動をしたオレを掴まえに、バーン軍も来る。急がなきゃまずいんだよ」

 青年はそう言って、その場から走り出した。

「とりあえず、安全な場所を探すか。お前、人気の無い場所知らねぇ?」

「人が少ないのは、ミュージアム通り……ここを曲がって右だけど……」

「りょーかい!じゃ、しっかり掴まってろよ!」

 青年はエリスをしっかりと抱きかかえながら、ミュージアム通りを目指して走り出した。

* * *

 時空科学館があるミュージアム通りは、エリスがいったとおり閑散としていた。

 青年はエリスを連れてミュージアム通りの路地に隠れると、胸を押さえながらその場に座り込んだ。

「……たく、兄貴も容赦がねぇ」

 青年がそう呟くのを聞いて、エリスはあることに気がついた。

 彼の服が、上半身がボロボロに焼き切れているということに。

 それだけではない、青年の上半身は、酷く焼け爛れていた。

「ねぇ、その火傷……」

「ん?ああ。さっきアカデミーで兄弟喧嘩しててさ、兄貴に焼かれた」

 イグニの言葉を聞き、エリスは目を丸くする。

「兄弟喧嘩?何で?あんた、アカデミーを襲撃してきたバーン軍の兵士でしょ?なに仲間割れしてんの?バカなの?」

「うわっ、ひでぇ言い草」

 青年はエリスの言葉にククッと笑い、彼女に答える。

「なんか気に入らなかったんだよ。まだ一般兵にもなってねぇ弱っちぃ奴らを焼き殺して、学校を破壊しろっていう上官……兄貴のことがな」

「気に入らなかったって……そんな理由で?ていうか、じゃあアカデミーを燃やしたのって、あんたのお兄さん?」

「質問が多いヤツ。……そうだよエデンの軍艦を焼いたのも、アカデミーを焼いたのも、俺の兄貴……フラム・ターナーだ」

 青年はそう言いながら、爛れた体の痛みに顔を歪める。

 それを見たエリスは、不安げに彼に尋ねた。

「ねぇ……あんた、さっき逃げるなんて言ってたけど、その前に病院で診てもらった方がいいよ。病院に行かない?」

 それを聞いた青年は、乾いた笑い声を出し、彼女を馬鹿にしたような顔で見た。

「お前は戦争を知らないからそう言えるんだ。いいか?今、中央都市エデンにはバーン軍が大勢いる。自分達を罰し、命を奪おうとしたエデンを潰そうと息巻いてる凶暴なバーンの兵士達がな」

 そこまで言うと、青年は諦めたように目を伏せた。

「今、この国に安全な場所なんてねぇんだ。病院へなんて行ってたら、お前も、お前と一緒にいる俺も殺される」

 青年の言葉に、エリスは息をのむ。

(そうだ。これは戦争なんだ。命が簡単に奪われてしまう……惨い、戦いなんだ……)

 何も言えずにいるエリスを見て、青年は可笑しそうに笑う。

「ま、俺がいる限り、お前は死なせねぇよ」

 青年はそう言うと、エリスの頭をポンポンと撫でた。

「っ……!触んないで!!」

 エリスは、咄嗟に彼の手を払いのける。そうされて、イグニは不思議そうに彼女を見た。

「何でだよ?」

「エリス、まだ、あんたのこと信頼した訳じゃないんだから!!」

 エリスはそう言うと、青年をキッと睨み付けた。

「そもそも、あんたはエデンと敵対してるんでしょ?何で、エデン軍のテオの頼みを聞くのよ!!」

 青年は目を見開き……やがて、真剣な顔になって答える。

「あいつとの戦いが……今まで生きてきた中で、1番楽しかったからだよ」

「は……?」

「好敵手……いや、戦友かな。本当はもっと戦いたかった。だが……」

 青年の表情が悲しそうに曇っていく。それを見て、エリスは察した。察してしまった。

「あいつは……兄貴から俺を庇って死んだ」

 エリスの目が見開かれる。震える口から、小さく声が漏れた。

「う……そだ」

「……悪ぃ」

「嘘だよ!嘘だって……嘘だって言ってよ!」

「……マジで、ごめんな」

「っ……!うっ……テオ……!」

 涙を流しながら、腕を抱えてその場に蹲るエリスの体を、青年は抱き寄せる。

「あいつ、最期に言ってたんだ。『オレが戦う理由は、世界平和なんて大きすぎる目標じゃない。幼なじみの……エリスが笑っていられる平和な世界にするためなんだ』ってな。だから……俺は、戦友の遺志を継ぐためにエデンに来たんだ」

 その言葉を聞き、エリスは涙で濡れた顔を上げて、彼の顔を見つめた。

 青年はその顔を見てニッと笑い、明るく告げる。

「だから、俺に任せろ。俺がお前のことを守ってやる」

「っ……!」

 エリスの心が、ぐちゃぐちゃになる。テオへの想いが、テオを失った喪失感が、目の前の青年への複雑な気持ちで塗り替えられていく。

 彼は、エデンの敵だ。

 でも、テオの願いを受け取って、自分を守ってくれようとしている。

 悪い人間じゃない。少なくとも、エリスにとっては。

「……あんた、名前は?」

 エリスは、青年を見つめながら尋ねた。それを見て、青年は明るく笑いながら答える。

「俺はイグニ。イグニ・ターナーだ」

「……イグニ」

 エリスは、彼の名前を呟き……礼を言おうと口を開いた。

 テオの願いを受け取ってくれたこと。自分を守ろうとしてくれていること。どちらも感謝しなければならないことだったから。

 ……しかし、その時。

「いたぞ!!」

 バーン兵の男が、2人に銃口を向けていた。

「上官殺しのイグニに、憎きエデン人め!!くたばりやがれ!!」

 バーン兵は、そう言って引き金を引く。次の瞬間、銃口から青白い稲妻が2人めがけて襲いかかった。

 イグニはエリスを庇うように抱いて、路地の奥に転がりながらそれを躱すと、すぐに掌を彼に向けた。

「ハンッ!くたばんのはお前だ!!『火炎』!!」

 イグニのの手から青い炎が放たれ、バーン兵の顔を燃やし尽くした。

 バーン兵は断末魔を上げながら倒れ、動かなくなった。

 その亡骸見て、エリスは恐怖に顔を歪めながら口を覆う。

「チッ……ここも危ねぇ。行くぞ、エリス」

 イグニは彼女の腕をしっかり掴み、走りながら表通りの方へ引く。

「あ……」

 エリスはふらつきながら、彼に手を引かれるままに走った。

* * *

 2人は、兵士達を炎で蹂躙しながら、ミュージアム通りを走った。通りに平穏だった頃の面影はなく、イグニが殺した兵士の亡骸があちこちに散らばり、青い炎が彼らの体を燃やしている。

──地獄みたいだ。でも、仕方ないんだ。こうしなきゃエリス達は殺されるんだから。

 エリスは自分に言い聞かせながら、イグニの背中を追う。

 イグニが、今回エデンに上陸するに当たって、どれ程の情報を集めてきたのかは分からない。だが、彼はアカデミーの破壊を指示されていたというのだから、任務とは関係ないこの辺りに詳しいとは思えなかった。

 きっと今も、闇雲に走っているのだろう。

(エリス達、どうなるんだろう。逃げ切れるかな?こんな状態で……)

 エリスの胸が不安でいっぱいになる。

 しかし、イグニは立ち止まらずに走り続けていた。

 ……走り続けて、2人が辿り着いたのは、通りの中心にある時空科学館。

 ここは、200年前から研究され続けてきた時空科学の全てが分かる場所だ。時空科学の基礎が分かる展示や、歴代のタイムマシンがある。

(そういえば、昔テオと一緒に遊びに来たっけ。タイムマシンも、ものの5分未来に飛んだだけだったけど実際に動かして……)

 そこまで考えて、エリスにある考えが浮かぶ。

──タイムマシンがあれば、別の時代に逃げられるかもしれない。

 エリスは咄嗟に、イグニに声を掛けた。

「イグニ!ここにはタイムマシンがあるの。もし動かせたら、別の時代に逃げられる!」

 エリスの提案を聞き、イグニは目を丸くした。

「マジか……!?それ名案だ!そうと決まればさっさと行くぞ!」

「うん!」

 2人が時空科学館の入り口に向かって走りだした、その時。

「そこまでだ!!」

 鋭い声がして2人が振り返ると、そこにはエデン政府軍が大勢、銃を構えて立っていた。

「バーン兵!その子を離せ!!」

 エデン兵は、彼に向かって怒鳴る。しかし、イグニは怯まず、へらりと笑って答える。

「アカデミーの学生まで戦争に駆り出すような、お前らの言いなりになんてならねぇよ。……こいつは俺が守る」

「何だと……!」

「お前ら政府軍は、エデンを世界一にすることだけ考えてて、国民のことなんて何も考えちゃいない。現に、今もエリスに向かっても銃を向けてる。……俺を撃ち殺せれば、エリスの命はどっちでもいいんだ。そんな考えが透けて見えるぜ」

 イグニにそう言われ、エデン兵達は言葉を失う。

「っ……、お、おい!そこのアカデミー生!!君はそのバーン兵に捕虜にされたんだろう!?私達に、助け出して欲しいと思ってるよな!?」

 大勢の中の1番前にいたエデン兵が、そうエリスに尋ねる。

「君はエデン人なんだ!そのバーン兵は君の敵なんだぞ!!」

 敵。その言葉に、エリスの心が大きく揺さぶられる。

(敵……本当に、そうなの?)

 エリスは傍らのイグニの顔を見上げながら、自分に問うた。

(彼は、テオの願いを受け入れてくれた。私をバーン兵から守ってくれた。絶対に守るって、言ってくれた……!)

 エリスは胸に手を当てながら、エデン兵を睨み付けた。

「この人はエリスの敵じゃない!!あんた達の方が……テオやみんなを戦争に駆り出したあんた達の方が、私はずっと憎い!!」

「何だと……!」

 エデン兵の顔が真っ赤になる。

「売国奴だ!そいつも殺せ!!」

 エデン兵達が、一斉にエリスへ銃口を向けた。

 しかし、エリスは動じず、ゆっくりと、1歩ずつ兵士達の方へ歩いて行く。

「……あんた達みたいな、敵対してる人の命も、味方の人の命も、何とも思ってない人間なんて……居なくなっちゃえばいいんだ」

 エリスは兵士達の目を睨み付けながら、怒鳴りつけた。

「『戦争をする人間なんて、死んじゃえばいいんだ』!!」

 すると、次の瞬間。

 兵士達が、自分に向かって銃を突きつけ始めたのだ。

「え……?」

 何が起きたのが分からず、兵士達は震える声を漏らす。

 死にたくない。死にたくないのに、自分の指が、引き金を引こうとしている。

「い、いい……嫌だ!死にたくない……!!」

 震える兵士達に向かって、エリスは冷徹な声で告げる。

「『死になさい』」 

 彼女の言葉が耳に届いた次の瞬間、兵士達が、一斉に引き金を引いた。

 発砲音が鳴り響き、大勢のエデン兵達が血を流しながら倒れていく。

 時空科学館の前に、真っ赤に広がる血の海。エリスはそれをぼんやりと見ていた。

(ああ、これで私も人殺しだ)

 呆然としているエリスの肩を、イグニがポンと叩く。

「……行くぞ」

「うん」

 イグニに促され、エリスは時空科学館へ向かって歩き出した。

 ……しかし、その時。

 2人の背後に、遅れて駆けつけたエデン兵の若い男が一人、ナイフを持って迫ってきていた。

「死ね!売国奴!!」

「エリス!!」

 イグニは咄嗟に彼女を突き飛ばした。

「うわっ!?」

 エリスは地面に尻餅をつき……兵士が彼女の首を切ろうと振ったナイフが、イグニの左目を斬りつけた。

「ぐぁ……!」

「イグニ!!」

 エリスの口から悲鳴のような声が上がる。それを聞きながら、エデン兵は彼女にナイフを突き刺そうと迫った。

 それを見たイグニは、左目から血を流しながらも兵士に向かって炎を放つ。

「くっ……!させるか!!」

 刹那、兵士は青い炎に包まれ、黒焦げになって動かなくなる。

 それを確認して、イグニはその場に膝をついた。

「イグニ……!」

 エリスは慌てて彼に駆け寄り、その体を支える。

「左目……私のせいで!!」

「へっ……。別にこれぐらい、どうってこと、ねぇよ……」

「嘘!絶対、絶対痛いでしょ!?」

「平気だって。大丈夫だ」

 イグニはそう言って、震える手で彼女の頭を撫でる。

──ああ、本当に守られてばかりだ。エリス、本当にダメだ……。

 そんな自己嫌悪が、苛立ちに変わる。

「なんで……!なんであんたは、エリスを守ろうとすんの!?ボロボロになって、仲間もみんな裏切って……!バカじゃん!!ほんと、救いようのないバカよ!!」

 八つ当たりだった。しかし、イグニは嫌な顔一つせずに笑う。

「何度も言わせんな。戦友の頼みを聞くために、俺はお前を守ってんだ」

「でも……!だからって……!!」

「俺は俺がやりたいようにやってるんだよ。文句言うな。自分が生きたいように生きんのが、俺の幸せで願いなんだよ」

 イグニの言葉を聞き、エリスは口を噤んだ。

 言いたいことは沢山あった。今の、左目を無くして上半身も焼け爛れてボロボロな今の状態が、あんたの幸せなの?そんなの間違ってるでしょ、とか。

 しかし、彼の生き様を否定する勇気は、エリスには無かった。

 エリスが何も言えずに俯いていると、遠くから血溜まりを歩く音が聞こえてきた。

 エリスが見ると、兵士達の屍を避けながら、3人の人間が、こちらに向かって歩いてきていた。

「……おやおや。君達、随分と派手にやったね」

 黒髪で小柄な、白夜の軍服を着た少年が、エリス達を見るなりクスクスと笑う。

 彼の隣を歩く、フリーデン兵の格好をした金髪の少年が、イグニを見るなり表情を曇らせる。

「酷い怪我だ。アリーシャ、彼の手当てを。薬はあるよね?」

「ええ。任せて」

 アリーシャと呼ばれた、ソフィアー軍の紋章がついた制服の少女が、イグニに歩み寄り、左目の処置を始める。

 エリスは、突如現れた金髪の少年に、戸惑いながら尋ねた。

「あんた達、誰……?」

 すると、少年は微笑みながら答える。

「僕はノエル。フリーデンから来た。……彼を処置しているソフィアーの彼女がアリーシャ・ユーゴ。それから、白夜の彼はウォンリィ・フォン。君は?」

「わ、私はエリス。そのバーン兵はイグニって言うの」

「そう。よろしくね、エリス」

 この死体が沢山転がっている状況で、柔らかな微笑みを崩さないノエルを見て、エリスの戸惑いは加速する。

「ねぇ、ノエル。怖くないの?こんなに沢山死んでるのに……。ノエルって、フリーデンから来たんでしょ?フリーデンって平和主義国じゃん。こういうグロいのって、苦手じゃないの……?」

 エリスにそう尋ねられるも、ノエルは表情を変えない。しかし、瞳から微笑みの色が消えた。

「戦争が……アビリティによる争いが、恐怖を全て奪っていったからね。……慣れたくないけど、慣れたんだ」

 ノエルはそこまで言うと、拳を震えるほどに握りしめる。

「でも……このままの、戦争で人が死んでいく世界でいるなんて、僕は認めない。だから……過去に渡って、歴史を変える。そのためにここに来た」

「歴史を変える?」

「ああ。戦争のきっかけになった、アビリティによって他者を傷つけるという人類の思考を矯正するんだ。そのために、アビリティによる犯罪が急増した200年前の過去に飛ぶ。過去を変えて……戦争が起きた未来を変えるんだ」

 ノエルはそう言うと、エリスに手を差し伸べた。

「もし、君も戦争を憎んでいるのなら……僕達と一緒に来ない?」

「え……」

「大切な人と、笑い合っていられる未来を、一緒に作らないか?」

──大切な人と、笑い合っていられる未来。

 それは、エリスが望んでいた未来だった。

 そして、テオが望んでいた未来でもあった。

 それが分かっていたから……エリスに迷いはなかった。

「うん。エリスも一緒に行く」

 エリスは彼の手をしっかり握った。

 それを見ていたイグニが、からりと笑う。

「エリスが行くなら俺も行くぜ!……平和な未来にしてやるのが、戦友への弔いになるからな」

 2人の答えを聞き、ノエルは微笑む。

「うん。じゃあ、一緒に行こう。……ウォンリィ、ドアのロックは?」

 ノエルが声を掛けると、扉の前のパネルを操作していたウォンリィがこちらへ戻ってきてニヤリと笑う。

「僕にかかれば、エデンのセキュリティも大したことありませんね」

「開いたんだね?」

「はい。勿論」

「分かった。じゃあ、早速タイムマシンを使わせてもらおう」

 エリス達は、ノエルに続いて時空科学館の中に入っていった。

* * *

 時空科学館の中の、時空科学に関する展示を眺めながら、ノエル達は奥へと進んでいく。

「ちょうど200年前程前だったかしら。タイムマシンが開発されたのって」

 アリーシャの問いに、ウォンリィが頷く。

「そうだね。208年前だったかな。ほら、そこに写真がある……宵月明日人という博士が開発したんだ」

 ウォンリィに指し示され、アリーシャ達は彼の写真を眺める。

 眼鏡を掛けた、黒髪で空色のツリ目の男性。端から見たら、とても厳しそうな印象を受ける。

「怖そうな人ね」

「そうかい?案外優しくて気弱だったんじゃないかな。彼は家庭を持っていたらしいし。たしか……妻と、子どもが2人。妻は病気で早くに亡くなってしまったそうだけど」

 ウォンリィの話を聞きながら、前を歩いていたノエルは表情を暗くする。

 愛する人がいなくなった未来で生きていくことの辛さを、彼は分かっていたからだ。

 5人がしばらく奥に進むと、タイムマシンの展示コーナーがあった。

 215年前から、ノエル達の時代の物まで、大小様々なタイムマシンが並んでいる。

 それを一つ一つ確認していったが、新しい時代のタイムマシンはどれもバッテリーが切れていた。

「……動かないね」

 ノエルが呟くと、ウォンリィが隣で舌打ちをする。

「危惧はしていたが、戦争でここの管理までに手が回ってなかったのでしょうね……」

「ああ、そのようだ」

 2人の話声を聞きながら、エリスは100年前に作られた、端末状のタイムマシンを手に取る。

(この時代以前のタイムマシンは、動かすのに『時』の能力が必要。もし、これが動かせたかったら、エリス達は過去に渡れない)

 エリスは緊張しながら、端末を起動させた。

 すると、バッテリーは残り僅かだったが、奇跡的に起動することができたのだ。

「みんな!動いたよ!」

 エリスの声に、4人が集まってくる。

「……バッテリー残量的に、200年遡るのがやっとだね。片道切符だ」

 ウォンリィが苦い顔をする。しかし、ノエルは微笑む。

「大丈夫さ。200年前の時代には……宵月明日人がいるだろう?」

「ええ、確かにいますが……」

「彼を利用する。タイムマシンを動かさせて、僕達に協力してもらおうじゃないか」

 ノエルの言葉を聞いたウォンリィは、不安げな表情を浮かべる。

「勝算はあるのですか?」

 ウォンリィに尋ねられ、ノエルは柔らかく……しかし、冷徹な目で微笑んだ。

「ああ。彼の心情は僕も深く理解しているからね。……きっと、協力させてみせるさ」

 ノエルの答えを聞き、ウォンリィは少しニヤリとしながら頷いた。

「そうですね。200年前の人間が、貴方に逆らえる訳がない」

「ああ。……さぁ、行こう。変えるべき過去へ」

 こうして、4人はタイムマシンを使い、過去へ渡ったのだった。

 全ては、戦争で滅ぶ未来を変えるために。


続き

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