僕らと命のプレリュード 第58話
南日本支部での戦闘から離脱したウォンリィは、ノエルと共に廃病院の廊下を歩いていた。彼は、前を歩くノエルの背中を3歩後ろからついていく。
ノエルの質のいい金髪が、窓から差し込む夕日の光でキラキラと輝いた。その光景が、ウォンリィが彼に着いていこうと決めた日と重なる。
(……綺麗だ。傍に寄ることが躊躇われるぐらいに。貴方は、いつだってそうだ)
ウォンリィは切なげに目を伏せながら、彼と出会った日のことを思い返した。
* * *
世界で最も強い軍事力を誇る国、白夜帝国。ウォンリィは弱冠16歳にして、その帝国軍の軍事戦略課に所属していた。
的確な戦略を編み出し、他国を次々に追い詰めていく彼のことを、周囲の人間は「天才少年だ」と噂する。ウォンリィ自身もそれに気がついており、周囲が自分を認めてくれることが誇らしかった。
──戦争が続けば、みんなが僕を認めてくれる。なら、続ければいい。他国を全て支配するまで。ずっと。
愚かにも、彼はそう思っていた。
あの日までは。
* * *
白夜が北の国フリーデンを侵攻し、フリーデン南部から中央部の領土を完全に掌握しようかという頃のこと。
ウォンリィがいる白夜軍司令室に、大勢の白い軍服の兵士が押し寄せてきたのだ。
ウォンリィは侵入者達を見て、目を見開く。
「お前達は……エデン政府軍?どうして、ここに……」
ウォンリィがそう言うと、1番前にいたエデン兵が、白夜軍の人間達を睨み付けながら言い放つ。
「戦争に関わった大罪人達を、消しに来たのだ!!」
エデン兵は、銃を構えると、司令室で働く人間を無差別に銃撃した。
ウォンリィは咄嗟に部屋中央のテーブルの下に隠れる。しかし、反応が遅れた同僚達が、血を吹き出しながら倒れる。
ウォンリィの視界に、血の海が広がっていく。倒れた同僚の亡骸と目が合った。
「っ……!」
その凄惨な光景を目の当たりにし、ウォンリィの体が恐怖で震えだす。
(僕は何も分かってなかった。戦争は人の命を奪う物なんだ。こんな風に……!)
ウォンリィの耳に、兵士達の足音が迫る。逃げ場なんてない。殺されるしかない。ウォンリィは、そう思った。
(僕は、どうして戦争を続けたいなんて思ってたんだ!?馬鹿だ!大馬鹿だ!!人の命を奪っておいて、自分の命が惜しいだなんて……!)
自分に生きる資格なんてない。戦争で、大勢の命を奪った自分が、これ以上生きて何になる?そんな考えが、ウォンリィの頭をよぎる。だが、彼の体は動いてくれなかった。
──死ねばいい。いや、死んでしまえ。エデン兵が言うように、戦争に関わった、僕達なんて……!
しかし、彼が殺されるよりも、入り口から這い出た闇が、兵士達を貫き殺すのが先だった。
「ぐぁっ……!?」
ウォンリィの同僚達の血に、エデン兵の血が混ざる。真っ赤な血溜まりがウォンリィの服を汚した。
突如として兵士達が死に、何が起きたか分からないウォンリィは、机の下から闇の主を覗き見た。
すると、そこにいたのは……顔や服を返り血で汚しながらも涼しい顔をしている、端正な顔立ちの金髪の少年だった。
恐ろしい状況なのに、ウォンリィには彼がとても美しく思えた。それこそ、絶対に触れてはならないような綺麗さを、彼から感じ取ったのだ。
「白夜との戦争の次は、エデン政府軍との戦争か。腐ってる……」
少年はそう呟くと、血溜まりを歩いて司令室のモニターの前に行き、それを見つめた。
「……ここの兵士は、もう全員の倒したかな」
少年はそう呟くと、振り返って机の下に声をかける。
「いつまで隠れてるつもりだ?」
「っ……!」
「……君が何者かは知らないが、いきなり君を殺すつもりはない。出てきたら?」
少年に優しく促され、ウォンリィは震えながら机から這い出た。
「……君は?」
少年に尋ねられ、ウォンリィは固唾を飲む。なぜなら、ノエルの服装が、自国が侵攻していたフリーデン軍の軍服だったからだ。
ウォンリィが黙り込んでいるのを見て、少年は再度、ゆっくりと彼に問いかける。
「君の名前は?」
「う、ウォンリィ・フォン……」
「ウォンリィか。白夜らしい響きの名前だ」
少年はそう言うと、彼に向かって微笑んだ。
その笑顔が、ウォンリィの胸を焼く。
「なんで、僕の顔を見て笑うことができるんだ!……僕は、君の国を侵攻した、敵国の人間なんだぞ……!?」
ウォンリィが早口でまくし立てると、少年は笑顔を崩さずに答えた。
「僕が憎んでいるのは白夜じゃない。戦争だからだ」
少年の言葉に、ウォンリィは目を丸くする。
「戦争……?」
「そう。憎むべきは、戦争に加担した人間じゃない。戦争を引き起こすきっかけになった、アビリティという力と人類の思考そのものだ。……敵国の人間を殺したところで、戦争が終わるはずもない」
少年はそう言うと、ウォンリィに柔らかく告げた。
「僕はノエル。戦争で滅んでいく世界を正すために、旅をしている。だが、1人でできることには限界があるんだ。だから……もし、君が僕のように戦争を憎んでいるのなら、力を貸して欲しい」
「え……?な、何で僕を……」
「簡単さ。君が、死ぬのを怖がっているからだよ」
図星を突かれ、ウォンリィの体が強張る。ノエルはそれに気がつきつつも、言葉を続けた。
「戦争は人の命を奪うもの。でも、君は死ぬのが怖い。また、その恐怖によって行動ができない。……本当は気づいているんだろう?自分が、戦争を恐れているということに」
ノエルはそこまで言うと、ウォンリィの胸に触れ、優しく告げる。
「それなら、僕と一緒に平和な世界を作るために、その命を使ってくれないか?戦争で、自他の命を失くすためではなく……平和な未来のために、生きてくれないか?」
──生きてくれないか。
その言葉が、ウォンリィの胸に突き刺さる。
ウォンリィは、自分には生きる意味も生きる資格もないと思っていた。死ぬのは怖い癖に、死ぬべきだと思っていた。
しかし、ノエルはウォンリィ与えてくれた。
生きる意味を。
「……いきます」
ウォンリィは、ノエルの手に自分の手を重ねて、涙を流しながら彼に答える。
「僕、貴方についていきます。貴方についていって……平和な未来を、作ります。いつか、きっと……!」
ウォンリィの言葉に、ノエルはただ微笑む。
これが、2人の出会いだった。ウォンリィにとっても、ノエルにとっても……運命的な、出会いだった。
* * *
廃病院の廊下で、自分の前を歩いていたノエルが、ある病室の前で立ち止まった。
病院3階にある大部屋。今、この病室にいるのは、未来にいた時にウォンリィ達が利用しようとしていた人物……時空科学者の宵月明日人だ。
「……ウォンリィ、僕は彼と話してくる」
ノエルは振り返らずにウォンリィに言う。
「話す……何を、ですか?」
「今後のことさ。……きっと、この病院も安全じゃなくなるからね」
「……まさか、特部の連中がここに来るとでも?」
戸惑うウォンリィに向かって、ノエルは静かに告げる。
「ああ。特部は……聖夜はここに来る。必ずね」
「なぜ、そう言いきれるのですか?ここが僕達の拠点だと、特に公表してしませんよね?」
ウォンリィが問うと、ノエルは振り返って微笑んだ。
「この病室から脱走した少女が、南日本支部にいただろう?彼女は聖夜達の味方だ。なら、ここを教えていても不自然じゃない。……君になら、そのぐらい分かると思っていたけど」
「あ……そ、それは……」
「ふふっ、何か考え事でもしていたのかな」
ノエルはそう笑うと、再び彼に背を向けた。
「とにかく、彼らを迎え撃つ準備を進めてくれ。この病院を守れるだけの、兵士を用意するんだ。……君なら、簡単だろう?」
「……分かりました」
ノエルは、ウォンリィの返答に小さく笑い、病室の中に入っていってしまった。
閉じられたドアを、ウォンリィはただ見つめる。
(今後のことなんて言ってたけど……僕は知ってる。貴方が、宵月明日人に肩入れしていることを)
そっとドアに触れ、ウォンリィは悔しそうに目を伏せる。
(僕は貴方を分かってる。分かりたいと思っている。でも、貴方の中には、僕よりも重要な人が、沢山いる)
ウォンリィは、目を閉じて、小さく呟いた。
「……ずるいよ」
* * *
ノエルが病室に入ると、明日人が床に座り込んで窓を見ているのが目に入った。
明日人はノエルが入ってきたのに気がつくと、彼をきつく睨む。
「……何の用だ」
「ああ、そんなに睨まないでくれ。君に良い知らせを持ってきたんだ」
「良い知らせだと……?」
ノエルは明日人の警戒した様子を見てくすりと笑い、口を開く。
「君と一緒に、この病室にいた少女が、特部の連中と一緒にいた。彼女は無事だよ」
「ほ、本当か!?」
ノエルはゆっくりと明日人に頷き、微笑む。それを見て、明日人は安堵の表情を浮かべた。
「良かった……」
「ああ。……しかし、君が僕達に逆らうなんてね。あの約束、忘れたとは言わせないけど」
ノエルが笑みを浮かべながら冷たく尋ねると、明日人は再び厳しい顔を見せる。
「たとえ、お前達が妻を生き返らせてくれるとしても……私は、もうお前達には従わない」
「ふふっ、そっか」
ノエルは小さく笑うと、明日人の傍のベッドに腰掛けた。
「君は、大切な人1人の命より、この時代のその他大勢の命を優先するんだね」
「っ……」
ノエルの鋭い言葉に、明日人は口を閉ざしてしまう。それを見てくすりと笑いながら、ノエルは更に言葉を重ねた。
「君は、愛する妻がいない世界でも生きていける……そんな冷たい人間だったようだ」
「ち、違う……!私だって、しおりがいない世界で生きていくなんて……!」
「なら、僕達に協力することだ」
「っ……!」
ノエルは微笑みを浮かべたまま、明日人を見つめる。
「妻が生きている。そんな未来にしたいんだろう?」
「……だ、駄目だ」
「何故だい?」
明日人は顔を俯かせながら、しかしはっきりと答える。
「自分が生きている未来が訪れたとしても……自分を生き返らせるために、私がお前達の計画に加担したことを知ったら、しおりは悲しむからだ」
明日人の答えを聞き、ノエルは少し目を丸くした。
「何を言っているんだ。命よりも大事なものなんてないだろう?生きていられることは奇跡だ。その奇跡が叶ったとしても、他の理由が原因で悲しむ人間なんているのか?」
ノエルに問われ、明日人は鋭い眼差しを彼に向ける。
「命よりも大事なものはあるんだ。それは……生きる理由だ。たとえ生きていたとしても、生きる理由が歪んでいる人生なんて……悲しすぎる。しおりは真っ直ぐな人だ。もし、私が歪んだ生き方をしていたら……絶対に私を許さないだろう」
明日人の答えを、ノエルは鼻で笑う。
「生きる理由、ね……。命があるのが当たり前な連中の発想だ」
ノエルは立ち上がり、病室のドアへ歩いていく。
「宵月明日人。僕は君とは分かり合えていると思っていたが……僕達は考え方の根本が違うようだ。残念だよ」
ノエルはドアの前で振り返り、明日人に微笑む。
「悪いけど、君に拒否権はない。この施設が破壊されようと、僕は君を利用するし、君は僕に従うしかない」
「……破壊だと?」
「ああ。きっともうすぐ、特部がここに来る。……君の大切な子ども達もね」
──君の大切な子ども達。
その言葉が、明日人の胸を締め付ける。
「……千秋達が、ここに」
明日人の呟きを聞き、ノエルは思わず笑った。
「千秋?違うよ。……宵月聖夜と、その妹さ」
「っ……!?」
明日人の目が、見開かれる。
「聖夜と、柊が……!?」
「ああ。僕達を突破できれば、だけどね」
ノエルはそう言うと、明日人に背を向けて微笑んだ。
「聖夜達と会えるよう、願うことだね」
ノエルはそう言うと、病室から出て行ってしまった。
病室に取り残された明日人は1人、床を見つめて唇を震わせる。
(聖夜と柊が……あの日、私が置いていってしまった、子ども達が……ここに来るだと……)
明日人の脳裏に、あの日の出来事が鮮明に蘇った。
* * *
しおりが亡くなって、もう2か月が経つ。明日人は、時空科学の研究をしながら、1人で聖夜と柊を育てていた。
2人の食事を作り、2人を学校に見送り、2人が眠るのを傍で見守る。そんな毎日を繰り返していた。
端から見れば、平穏な親子の日々。しかし、聖夜も柊も、母親を恋しがって泣いているのか、寝顔にはいつも涙の跡が残っていた。
明日人には悟らせないように、2人だけで泣いているのだと思うと……明日人は耐えられなかった。
「……ごめんな。聖夜、柊」
明日人は眠る2人の頭を撫でながら、自身も涙を流してそう呟く。
「母さんが居なくなって寂しいよな。父さんも、寂しい。寂しいよ……」
明日人がそう泣いている時だった。
もう夜だというのに、家のインターフォンが鳴ったのだ。
「え……?」
不審に思いながらも、明日人は外の様子が見られるモニターを見る。
すると、そこにいたのは、美しい金髪の少年だった。
こんな夜更けに、子どもが何の用だろうか。何か訳ありなのだろうか。助けてやった方がいいだろうか。そんなことを思い、明日人は家のドアを開けた。
「……こんばんは。君は誰だ?」
明日人が問うと、少年は野葡萄色の瞳を優しく細めて答える。
「僕はノエル。君は……時空科学者の宵月明日人、だね?」
「あ、ああ……。私を知っているのか?」
「もちろん。君のことは全て知っている。君が何をしているのかも、どんな人生を送っていたのかも……そして、愛する妻を失ったことも」
ノエルの言葉に、明日人は目を丸くした。
「なんで、しおりのことを……」
「何故?簡単さ。僕が200年後の未来から来たからだよ」
ノエルはそう言うと、明日人に微笑んだ。
「200年後には、アビリティ細胞に関わる病気の特効薬がゴロゴロ存在している。だから……君の妻も、助かるよ」
ノエルの言葉を聞き、明日人は戸惑いを見せる。
「悪いが、君がさっき言ったとおり、しおりはもう死んでいるんだ。だから、今更薬を貰っても……」
明日人の答えに、ノエルはくすりと笑った。
「何を言っているんだ?君には、タイムマシンがあるだろう?それで過去に渡ればいい」
ノエルの言葉に、明日人は目を見開く。その驚いた様子を見て、ノエルは笑顔で手を差し伸べた。
「僕が、君の妻の未来を変えてあげる。その代わり、君も僕の未来を変えるために協力してくれないか?」
明日人はノエルの笑顔を見て、自然と手を伸ばしていた。
──もし、しおりが生き返ったら……聖夜も柊も、寂しい思いをしないだろう。それだけじゃない。私も……。
弱りきっていた明日人は、ノエルを疑うこともせず、彼に向かって頷いていた。
「……君に、協力する」
その後、明日人はノエルの言いなりになり……彼の仲間とタイムマシンと共に、50年前の朝丘病院に姿を消したのだった。
聖夜と柊を、家に残して。
* * *
過去のことを思い出し、明日人は顔を歪めながら呟く。
「会う資格なんてない。合わせる顔もない。だが……」
明日人の瞳から、涙が零れ落ちた。
「会いたい。……会いたいよ。聖夜、柊……」
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