僕らと命のプレリュード 第43話
「白雪。ねぇ、白雪」
明るく澄んだ声が聞こえて、白雪は目を開ける。すると、大好きな姉が、9年前の姿のまま、横たわる自分の顔を微笑みながら覗き込んでいた。
「春花姉さん……?」
「白雪、起きて」
姉に促されて、白雪は体を起こす。するとそこは、昔、姉とよく遊びに行っていた西公園の原っぱの上だった。
白雪が顔を上げると、町で1番大きな桜の大木が、穏やかに佇んでいるのが目に入った。風が吹いて薄紅色の花が揺れ、白雪の鼻先に淡い色の花びらが舞い落ちる。
白雪はそれをそっとつまみ、ぼんやりと見つめた。
「桜、綺麗だね」
白雪の隣で、春花が優しく微笑みながら桜を眺めている。白雪はその姿に目を移し、滲む視界に姉の笑顔を映した。
「っ……姉さん……!」
その笑顔を見て、たまらなくなり……白雪は、震える腕で春花を抱きしめた。
「どうして、死んじゃったの…………?」
白雪の瞳から、はらはらと涙が落ちる。
「僕、姉さんが帰ってくるの、ずっと待ってたのに……どうして?」
幼い頃に戻ってしまったように、白雪は姉にくっついて泣きじゃくる。
そんな白雪の背中を、春花は優しくさすった。
「……ごめんね」
春花は申し訳なさそうに涙を浮かべながら、それでも笑顔を作って白雪の体を引き寄せる。
いつだってそうだった。春花は、病弱で泣き虫な白雪のことを、優しい笑顔で包み込んでいた。
そんな姉のように、白雪はなりたかったのだ。
春花のようになれば、多くの人を笑顔にできると、白雪は思っていた。春花のようになることが、身体が弱く、泣き虫で、何も出来なかった自分の、唯一の使命なのだと思っていたのだ。それこそが、白雪が特部で戦う理由だった。だから白雪は、春花のように、笑顔を絶やさぬ人を演じていた。
いや、それだけではない。白雪が春花の真似をしていた大きな理由は……春花のことが、大好きだったからだ。
笑顔も、温もりも……春花とすごす時間の全てが、白雪は大好きだった。それこそ、涙が出てしまうほどに。
しかし、その春花はもういない。春花は、白雪が触れられない場所へ行ってしまった。
だから、これも夢だと気づいていた。優しい優しい、大好きな姉の夢だと。
それでも、白雪は姉を抱きしめる力を強くする。
もう、二度と……離れたくなかったのだ。
「姉さん、もう居なくならないで……。僕の傍にいて……」
白雪は声を震わせながら、姉を強く抱き締めた。
「姉さんがいなきゃ、僕、独りだよ……」
幼い頃、病気で満足に友達を作ることができず、姉にばかり甘えていた白雪の、寂しがり屋な本音。
しかし、それを聞いた春花は、白雪を強く抱き締め返しながら……彼の耳元で優しく告げた。
「大丈夫。白雪は、もう独りじゃないよ」
「え……?」
「白雪には、仲間がいるよ。大事な、大事な仲間が」
春花はそう微笑って、白雪の背中をポンポンと叩く。
「私がいなくなってから……きっと、すごく寂しかったよね。沢山沢山、無理してたよね。私みたいになろうって、自分を押さえつけてたんだよね。白雪は、どれも偽りの自分なんだって思ってるのかもしれない。本当の自分には、価値なんてないって思ってるのかもしれない。……でもね、どれも白雪なんだよ。寂しがり屋な白雪も、頑張り屋さんな白雪も……私を目指してくれた白雪も、全部……あなたの一部なんだよ」
春花はそう言うと、弟を抱きしめていた腕を解いた。
「白雪。お姉ちゃんに、顔を見せて」
「……うん」
白雪は春花から離れて、姉を潤んだ瞳で見つめる。春花は微笑みながら、弟の涙を拭って、優しく告げた。
「あなたは、あなたのままでいいの。きっと、みんな……あなたのことを受け入れてくれるよ」
「姉さん……でも、僕、みんなを傷つけて……」
「大丈夫。お姉ちゃんのこと、信じて」
春花は明るい笑顔を見せて、桜の大木に視線を移した。
「あの桜の木みたいに……私、白雪のことを見守ってる」
春花はそう言って、白雪の手を優しく包んだ。
「だって……私は、白雪のヒーローなんだから!」
春花のお日様のような優しい笑顔を瞳に映した次の瞬間、桜吹雪が視界を覆い尽くし、ほのかな花の香りと共に、白雪の意識がふわりと途切れた。
* * *
医務室のベッドで眠る白雪の周りに、特部のメンバー全員が集まっていた。
白雪を止めてから数時間、交代で食事を済ませ、必ず誰かは白雪の傍にいるようにしていたのだ。
既に時刻は夜の9時を回っている。
「……君達、怪我人もいるのだからあまり無理をしてはいけないよ」
清野がそう声をかけるも、誰1人としてその場を動こうとしなかった。
「白雪さん……起きないな」
聖夜が呟くと、花琳は涙をこぼした。
「このまま起きなかったら……」
その背中を、海奈が優しくさする。
「大丈夫だよ。……きっと目を覚ます」
海奈の言葉に、花琳が不安を押し殺して頷いた……その時。
「う……」
呻き声と共に、白雪の瞳が、ゆっくりと開いた。
「白雪さん!」
「みんな……」
白雪が起き上がろうとするのを、翔太はその肩を押さえて制止する。
「寝てて下さい。……無理できないんですから」
翔太に止められ、白雪は身体を再度ベッドに横たえた。
「……ごめん、みんな」
仰向けで天井を見つめながら……白雪は呟くように言った。
その頬を、一筋の涙が伝う。
「僕は……みんなを傷つけてしまった」
白雪の表情はとても苦しそうで、普段のような微笑みは微塵もなかった。
その様子を見て、聖夜は真剣な顔を白雪に向け、ずっと抱えていた思いを告げる。
「俺達、ずっと心配だったんです。白雪さんが無理してないかって」
聖夜の隣に座っている翔太もまた、白雪を真っ直ぐ見つめて尋ねた。
「……もし良ければ、白雪さんが抱えてるもののこと、俺達に教えてくれませんか」
その言葉を聞いた白雪は、目を閉じて、ゆっくりと、胸の内を語り始めた。
「ずっと、姉さんに……北原春花になりたかったんだ」
「お姉さんに……?」
聖夜は首を傾げた。
「うん。僕には年の離れた姉さんが居てね……特部だったんだ。強くて、優しくて……大好きだった。でも、ある日任務中に命を落としてしまったんだ」
白雪は一息置いて、天井を見ながら続けた。
「……僕は昔から体が弱くて、何をするにも制限があった。そんな自分が不甲斐なかったよ。でも、姉さんは違った。みんなが姉さんを必要としていた。……だから、姉さんが死んだとき、僕が姉さんの代わりになると決めたんだ。残り少ない時間を、全部……姉さんのように、仲間や人々を救うことに使おうって……」
白雪はそこまで言うと、苦笑いした。
「でも、僕じゃ駄目みたいだ」
聖夜はその様子を見て、はっきりと言い放つ。
「そうですよ。……白雪さんはお姉さんにはなれないです」
全員がその言葉に目を丸くする。
「ちょっと聖夜……!」
柊が聖夜を小突く。しかし聖夜は、白雪を真っ直ぐ見つめたまま続けた。
「なれませんよ……だって、白雪さんは白雪さんですから」
そう言って聖夜は優しく微笑む。
その様子を見て、翔太も頷いて微笑った。
「……そうだな。俺達のリーダーは他の誰でもない。強くて、優しくて、頑固な白雪さんだ」
向かい側に座っていた海奈も、元気よく手を挙げながら明るく言った。
「俺も賛成!俺達には白雪さんが必要だからな!」
「ぼ、僕も……」
深也がおずおずと手を挙げる。
その傍らで、柊も笑いながら手を挙げていた。
「みんな……でも、僕はみんなを……」
戸惑いながら仲間を見渡す白雪に、花琳が微笑みながら告げる。
「白雪君が思ってるより、私達は白雪君のこと大事に思ってるの。だから白雪君、これからは私達のこと、もっと頼って」
「花琳……」
花琳の言葉に、白雪は涙を流しながら、明るく笑った。
幼い頃の、本来の白雪の笑顔そのままだった。
「……ありがとう、みんな」
白雪の笑顔を見て、仲間達は顔を見合せて微笑んだ。
* * *
後日、白雪は総隊長室へ足を運んだ。
「失礼します」
白雪が部屋に入ると、千秋は窓辺に佇み、静かに町を眺めていた。
「……総隊長」
白雪に声をかけられ、千秋は振り返る。
「白雪か。どうかしたのか」
千秋が尋ねると、白雪は千秋を真っ直ぐ見つめて、
「……先日は申し訳ありませんでした」
深く、頭を下げた。
「あの時、意識はあったんだな」
千秋の問いかけに、白雪は静かに頷く。
「なら、あれは全て君の本心なんだな?」
「……はい」
白雪は目を伏せ、はっきりと謝罪の言葉を述べる。
「八つ当たりだって分かってます。……すみませんでした」
俯く白雪を見て、千秋は穏やかに微笑んだ。
その笑みは、総隊長が部下へ向けるものとは少し違う。まるで、兄が弟に向けるような……そんな、優しい笑顔だった。
「いや……あれでいいんだ。ずっと言いたかったんだろう、白雪」
千秋の言葉に白雪は苦笑いする。
「……そうかもしれません」
「君はもっと自分を出してもいいんだ。……泣き虫な部分をさらけ出しても、みんな助けてくれるだろう。特部に来る前の君は転んだだけで泣いていたからな……」
千秋が昔の話をした途端、白雪の眉が僅かに吊り上がった。白雪は普段よりも強い口調で、千秋に言い返す。
「その話は止めてください。総隊長だって、昔は気弱で目立たないタイプの人だったじゃありませんか」
「ほう、言うようになったじゃないか」
千秋は穏やかに笑った。それを見て、白雪もまた微笑む。ただし、今まで貼り付けていた柔和な微笑みではなく、どこか自信ありげな笑顔だった。
「……姉さんの真似はもうしませんから。我慢しないで笑いたい時に笑って、怒りたいときに怒ります」
「……そうか」
千秋は、微笑みを浮かべながら頷いた。真紅の瞳が、優しげに細くなる。
「昔から君を知る従兄としても、とても嬉しいよ」
千秋がそう言うと、白雪は明るく頷いて、にっこりと笑った。
「これからもよろしくお願いします。千秋兄さん」
白雪の口から出た、懐かしい呼び方。千秋はそれに頬を緩めながら、部屋を後にする従弟の後ろ姿を見つめた。
「……春花、見てるかな」
千秋は窓の外に視線を移し西公園を眺める。並木道だけではなく、大木の桜の花もすっかり散り終え、木々の深い緑色が映えていた。
「もう、春も終わりだね」
千秋はそう呟き、眉尻を下げながら微笑む。
するとその時、総隊長室のドアが開き、眞冬が入ってきた。
「千秋、ちょっといいか?」
眞冬の真剣な表情を見て、千秋は顔を引き締める。
「眞冬……何かあったのか」
「これを見て欲しい」
そう言って、眞冬は千秋に、紫色のファイルを手渡した。
千秋は中身に目を通し……言葉を失う。
「……これは」
「ああ。疑問が確信に変わった」
眞冬は頷き、厳しい表情を千秋に向けた。
「高次元生物は人為的に生み出されている」
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