20181024_砂丘影

オトナになる前に


2018年が終わった。

4月に新社会人として世の中に放り出される前に、今までの人生を少しずつ振り返っていこうと思う。


大学4年の今、私は特に何もしていない。

僅かにいる周りの友人のようにアルバイトに全力を尽くしているわけでもなく、遊びまくっているわけでもない。少しずつ、「何かをしたい」と思う気持ちが薄れてきてしまった。


幼い頃、お母さんの周りを離れられない人見知り全開の子供だったらしい。その特性は今でも残っている。出来る限り新しい人たちと新しい人間関係を作ることは避けたい。が、この特性をさんざん混ぜて捏ねて拗らせた結果、初対面の人に必要以上に親しみを持たれる振る舞いをしてしまうようになった。

小学生の頃、クラスの中心にいるような子だった。人見知りだったくせに無理をしていたのじゃないかと今では思う。22歳の私を形成している大きなトラウマが4年生の時にあったんじゃないかとふと頭をよぎるけど、今回は見送り。

中学生になって、突然仲の良かった子たちと距離を置くようになった。ここの原因はまだわかっていない。きっかけを思い出せない。ただ、リーダーシップを発揮したい、中心にいたいと思う気持ちは変わっていなかった。生徒会に入り、会長まで経験した。掛け持ちしていた剣道部ではある大会で優勝し、自分には出来ないことはないんじゃないかと勘違いするようになった。

高校では演劇部に入った。人に注目されたかった。目立ちたかった。身近な人に自慢してもらえる人になりたかった。高校演劇にはコンクールが毎年1回開催されるのだが、全国大会にまで進んだ。自意識過剰だった私は「誰にも私の邪魔はさせない」「私の事を理解できない方がバカだ」という思いを常に心の底に潜ませていたのだと思う。

大学に入り、イベントを企画運営したり、広報物を作成したりする学生団体に所属した。ここでの日々は私を良くも悪くも変えた。人の考えを理解することの難しさ、声の大きな人が中心になること、どう頑張っても意見が合わない人は一定数いること、先の事を考えることの重要性、人と人との間に立ってくれる人の大切さ、どれだけ頑張っても報われないことがあること、すぐ泣く女のめんどくささ、どう頑張っても本番直前はデッドレースになること、友達を作ることのハードルの高さ、自己中心的になりがちになる自分の醜さ、特別な才能を持ってないことに対する焦り、素直になることの恥ずかしさ、規則正しい生活の素晴らしさ、夢中になれることがないことの虚しさ、20歳を超えても大人にはなれないこと。多くのことを学んだ。楽しかった。辛かった。小さい頃は、大学生になってもこんなに知らないことがあるとは思っていなかった。

人間関係に疲れ、抜け出した。責任感を捨てて、違う場所に逃げた。そこで出会った人に甘え、甘え切った結果、ダメな自分を少しずつ客観的に見ることができるようになってきたんじゃないかと思っている。客観的にダメな自分を見て、「仕方ないよねえ、私だもん」と開き直っている。何にもやる気が起きない。それでいいのだ。何もしなくない。それでいいのだ。どうせもうすぐ嫌でも何かをしないといけなくなるのだから。

小手先のスキルで乗り切った就活を経て、もうすぐ社会人になる。少しだけ残された猶予をどうやって過ごそうか。

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