誰が言うか、って想像以上に大切な判断材料かもしれない🤔
おはようございます!
最近ぼんやりと思っていることがあって思い切って文章に残してみようと思います✍️
私はキンコンの西野さんとかオリラジのあっちゃんとか好きで、その人たちが発信しているコンテンツを浴びては「ほうほう」と頷いたり、すごいなあ〜と憧れたり感情を揺さぶられています
ただ、一方でこの発信を「私が知らない人」がしていたら、それはあまり刺さらず届かず流されてしまうのではないかと思います
何が言いたいって、もう耳タコな話ではありますが「何を言うか」以上に「誰が言うか」が見られていて、なおかつ"言う人"に対して"リスペクト"を持っていないと、その発言は響いてこないんだなあ、と。私は西野さんやあっちゃんをお笑い芸人として「尊敬」しているからこそ、発信内容が変わっても(お笑いから教養やビジネスに変化しても)受け入れられるんだと思います。
一方で、どこの誰とも知らない人が同じ話をしていても響かないどころか「うるさい」て思うかもしれない それって有益な情報で自分に大切なことなのに「その人を知らないからこれは受け入れられない」て事だと思うんです
めちゃくちゃ勿体無くないですか?
つまり、自分に必要な情報とかコンテンツを楽しむ、の土台には"知る"ことが大切で"知っている"人や物が増えていけば、自分の許容できるキャパも増えてさらに情報社会を楽しめるのでは〜〜?という話です 知るって一種の"好意"だから 知ったうえで相手をどう思うかは別として、無関心よりもずっと親切であったかいと思うんです
知って興味を持ってそのうえで取捨選択していく方がよほどクリアだなあ 知らない、から怖くてなんとなく嫌悪感を向けてしまう このループから脱したい🏃♀️💨そんな話でした🤔
最後に西野さんの推しnote記事置いていきます📚
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